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さて、「今日の一言メモ」第675回です。
「名人は人を謗らず」
「名人は人を謗(そし)らず」とは、名人ともなれば他人の短所をあげつらわないという意味です。
人は妬みやそねみから他人の悪口を言うものだが、名人には人を妬んだりそねんだりする必要がないから、他人の短所や未熟さを批判するようなことはしないということです。
人と自分を比べて優劣を測るのは悲しい人間の性(さが)か
人間生まれてから学校を卒業するまで、先輩後輩の関係が続き、友人との優劣を競う関係が生まれます。一般的な社会というのは、そうした「縦の関係」で成立していて、その中で育てばそれが当たり前のことで不思議にも思わないでしょう。
組織を離れた友人関係においても、「A君は私よりも上だが、B君は私より下だ」「A君の意見には従うが、B君には耳を貸さない」「C君との約束など、反故にしても構わない」などと考えていれば、それは縦の関係です。
小さい頃から縦社会で過ごしてくれば、そういう考えを持つのはいわば悲しい人間の性(さが)なのかもしれません。
縦社会では、「褒める」「叱る」行為が当たり前に行われます。「褒めて育てる」と言いますが、そこには褒める側が一段高いところから見下している印象が拭えません。無闇に褒められたら、なんだかバカにされているように感じるのは、そのせいでしょう。
「褒める」も「叱る」も、それは「評価」であり、評価する限り対人関係は「縦の関係」に留まります。
「縦の関係」から「横の関係」に変える
では、そんな縦の関係を横の関係に変えることはできるのでしょうか。
一つの考え方は、褒めるのでもなく叱るのでもないアプローチをすることです。それは「感謝」「喜び」「お礼」「尊敬」というやり方です。
他者の行為に対して「ほんとにありがとう!」と感謝の言葉を伝える。
他者がしてくれたことに対して「うわぁ!凄い嬉しい!」と喜びの言葉を伝える。
他者が助けてくれたことに対して「いやぁ、ほんとに助かったよ!」とお礼の言葉を伝える。
他者が自分にできないことをしたら「わぉ!そんなことできるんだ!素晴らしい!」と尊敬の念を伝える。
こうした言葉は、他者を「評価」して出てくるものではないでしょう。評価の言葉は、縦の関係から出てくる言葉です。
褒められるということは、他者の物差しによって「良い」と評価されたことです。もしも褒めてもらうのを望むのなら、他者の物差しに合わせ、自らの思いや考えにブレーキをかけ、他者が褒めてくれる行動をとろうとするでしょう。
一方、「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いた時に、自らが他者に貢献できたことを知ります。
「感謝」「喜び」「お礼」「尊敬」を伝える相手は、年上でも年下でも関係ありません。そこには上下の関係、すなわち「縦の関係」はなく「横の関係」だけです。言葉遣いは、年上の方には丁寧に「ありがとうございます」と変えるでしょうけど。
親が子を「叱る」のは、一定の時期までは躾として必要でしょうね。でも、その後は一方的に叱るのはどうなんでしょう。つい叱りたくなるのは、なにかいけないことをしたときでしょうか。
そんなときに一方的に叱っても自我が芽生えた子どもは、きっと反発し反抗したりするでしょう。であれば、なぜそんなことをしたのか、尋ねてみます。そして、そんなことをされて自分は悲しい、という気持ちを率直に伝えます。
そうすれば、対等の人間として接することになり、親子という縦の関係ではなく、横の関係になるでしょう。これは何も親子間だけではなく、一般的な対人関係に応用できることです。
「横の関係」を構築できれば、対人関係は楽になる
生きていると、なぜだか理由は分かりませんが、マウントしたがる人に出会ったりします。どうしても自分を上におきたいのでしょう。そういう人は、嫉んだりそねんだりする気持ちが裏側にあるからそんな行動をとるのだと思います。
そういう人に、なぜそういう行動をとるのか、と尋ねても火に油を注ぎそうですから、さりげなくフェードアウトすることにしていますが……。
それはともあれ「縦の関係」を脱して「横の関係」を構築できれば、老若男女問わず分け隔てなく交流することができるはずです。今、なにかと騒がしいジェンダー問題も関係ありません。相手が男でも女でもLGBTQでも、横の関係になれば性差別などあり得ないのです。
他人と比べて上下や優劣を考えるような疲れることはやめて、もっと楽に生きたらいいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.2.25記)