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岡江久美子さんが亡くなられた日
1年前の今日(2020年4月23日)、僕は岡江久美子さんの訃報をニュースで聞いて呆然と立ちすくんでいました。
志村けんさんの訃報に続くニュースは日本中を駆け巡り、新型コロナウイルスの恐さをまざまざと見せつけました。
そして、亡くなった翌日、娘の大和田美帆さんがブログを更新し、岡江さんが(葬儀会社のみの立ち合いで)荼毘に付されたことを報告しました。
たくさんのお悔やみの言葉に対し感謝を述べるとともに、入院してからの17日間一度も母の手を握ることも、孫の声を聞かせてあげることもできなかったこと、亡くなったと知らせが来ても駆けつけることすらできなかったこと、今も父親の大和田獏さんとは一緒にいられないことなど、無念の思いを吐露しました。なんともやりきれない思いだったでしょう。
その後、遺骨となり無言の帰宅をする一連の流れ、さらに大和田獏さんが挨拶をする姿までテレビで映し出され、報道のモラルを問う声が相次ぎました。
岡江久美子さんは、僕と同じ1956年(昭和31年)生まれでした。僕が3月、彼女が8月生まれなので学年は一つ違いますが、明るく元気で溌剌としたイメージの彼女が突然命を奪われたことにとてもショックを覚え、えもいわれぬ喪失感を味わいました。
明日死んでもいいように今日を生きる
そんな僕は、「余計なものを排し、自分に正直に生き、明日死んでもいいように今日を生きる」という行動指針を2020年の正月に定め、今まで過ごしてきました。(こちらの記事参照)
この行動指針を定めて4ヶ月後に岡江久美子さんが亡くなってしまったわけですが、その時に突然訪れる死の無常さを改めて痛感し、「明日死んでもいいように今日を生きる」のだという思いを強くしました。
あれから1年、亡くなられた岡江久美子さんのご冥福を祈るとともに、これからも定めた行動指針を肝に銘じて生きていこうと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.4.23記)