(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第755回です。
「義を見てせざるは勇無きなり」
「義を見てせざるは勇(ゆう)無きなり」とは、人として行うべき正義と知りながら、それをしないことは、勇気が無いのと同じことだ、という意味です。
孔子の言葉を記録した『論語・為政』に、「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり」(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂(へつら)うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)とあるのに基づくそうです。
「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しい行いのことです。
正義を行うのに躊躇する時
身の回りを見渡してみても、理不尽な行為に出くわすことがままあります。
例えば、電車の中で、目の前にご老人や妊婦さんが立っていても、知らん顔で優先席に座り続ける若者など、いくらでもいます。
座っているのが、屈強で柄の悪そうな若者であれば、知らん顔を決め込みがちです。
その時に「義を見てせざるは勇無きなり」と、行動できるかは甚だ心許ないです。もしかしたら、怒鳴られたり殴られるかもしれない……という恐怖と戦わなければならない小心者だからです。
大きい後悔か、小さい後悔か
結局、行動する、しないは、どちらの方が後悔が大きいか、ということでしょうか。
行動した結果、殴られてしまい怪我をして後悔するのか、行動せず、後々まで後ろめたい思いをひきずるのか、どちらにしても後悔するのであれば、どちらがマシか選択するしかないですよね。
勇気をもって注意したら、案外その若者は素直に席を譲るかもしれませんけど……。
・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2021.7.12記)