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さて、「今日の一言メモ」第825回です。
「鑿と言えば槌」
「鑿(のみ)と言えば槌(つち)」とは、万事に気が利くことの例えです。
鑿(のみ)を取って欲しいと言われれば、鑿を打つのに必要な槌(つち)も一緒に持ってくきてくれるほど気が利く、という意味からこう表現されるようになりました。
「鑿」とは、木材、石材、金属等に穴を穿ったり溝を刻んだりするのに用いる道具のことで、「槌」とは、物を打ちつけたり潰したりする道具のことです。
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気配りは鍛錬されて身につく
人は、小さい頃から「自分がして欲しいことを、人にしてあげなさい。自分がして欲しくないことは、人にはしないようにしましょう。」と教えられてきたと思います。
でも、大人になってくると、自分がして欲しいことが、必ずしも万人のして欲しいことではないことに気付かされます。良かれと思ってしたことが、かえって余計なお世話になってしまうこともあります。
そんなあれやこれやを経験した上で、気配り上手になれる人はいますし、なれない人もいます。
正しく「忖度」(そんたく)し、「阿吽の呼吸」を体得する
モリカケ問題以降、「忖度」という言葉はすっかり悪者になってしまいました。でも、「忖度」を広辞苑で検索すると、「他人の心中をおしはかること。推察。」と出てきます。決して悪いことではないのです。
「阿吽の呼吸」という言葉がありますが、広辞苑では「共に一つの事をする時などの相互の微妙な調子や気持。特に、それが一致することにいう。」と説明されています。
「忖度」も「阿吽の呼吸」も、日本人以外に説明してもなかなか理解してもらえないようです。それだけ古来、日本人に伝わってきた文化なのかもしれません。
正しい意味での「忖度」ができて、「阿吽の呼吸」を体得すれば、それは現代でも得難い人材になるのではないでしょうか。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.11.12記)