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さて、『今日の一言メモ』第904回です。
アジサイの季節
あと1週間で6月となる5月下旬の晴れた空の下で、ふと気がつけばアジサイの花が咲いていました。
ジリジリ照りつける太陽に灼かれながら、まもなく梅雨の季節であることを改めて認識しました。
さて……
「楽は苦の種 苦は楽の種」
「楽は苦の種 苦は楽の種」とは、楽をすれば後で苦労を味わうことになり、逆に苦労をしておけば後で楽ができるという意味です。今の苦労は後の楽に繋がるのだから、将来のために苦労も耐え忍ぶべきだという教えになっています。
これは、水戸黄門のモデルとなった徳川光圀の言葉だそうです。徳川光圀は、江戸時代に歴史事業や藩政の充実に尽力し、貧乏で困っている百姓に薬や食べ物を与えるなどの人格者だったとされています。
人は、苦しいことを嫌がり、楽しいことを好みます。でも、実際には、苦楽はコインの裏表であり、苦は楽に変わっていくし、楽は苦に変わっていきます。苦と楽は、合わせて一つなのです。「禍福は糾える縄の如し」ですね。
いい時に浮かれ過ぎず、悪い時は落ち込み過ぎず、次なるチャレンジへ
人生には、いい時も悪い時もあります。その時にいちいち一喜一憂せず、いい時はたまたまご褒美を頂戴しているのだ、悪い時は今この経験をすることが必然なのだ、とあるがままを受け入れることが大事だと思います。
世に、苦節◯年という言葉がありますが、この裏にはいつか報われるという言外の意味がありそうです。オリンピックで金メダルを獲得するのも、甲子園で優勝するのも、ほんの一握りの人たちで、他には夢破れた無数の人たちがいるでしょう。
でも、夢破れた人たちに価値がないのか、というと決してそんなことはありません。夢破れた経験をもとに、次なるチャレンジに立ち向かって成果を出せばいいのです。
一番いけないのは、夢が破れたからといって自暴自棄になり、次なるチャレンジを諦めてしまうことでしょう。失敗してもチャレンジを続ける人は、いつか成功を掴むかもしれない「強者」です。一方でチャレンジしない人は、成功確率ゼロの「弱者」に留まってしまいます。
自戒も込めて、久しぶりにこちらの図を示しておきます。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.5.24記)