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閑話休題。
「記念日の日」
今日7月6日は「記念日の日」だそうです。これは今から35年前、1987年に歌人の俵万智さんが出した歌集『サラダ記念日』が280万部のベストセラーとなったことがきっかけで、「記念日」という言葉が一般に定着した、ということで決まったそうです。
そして、毎年この日には俵万智さんの短歌を読みたくなります。今日も「自選百首」を改めて見直してみました。
いくつかここにご紹介しますね。
「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日は サラダ記念日(『サラダ記念日』)
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(『サラダ記念日』)
今日までに 私がついた嘘なんて どうでもいいよというような海(『サラダ記念日』)
はなび花火 そこに光を見る人と 闇を見る人いて並びおり(『かぜのてのひら』)
「もし」という 言葉のうつろ人生は あなたに一度 わたしに一度(『かぜのてのひら』)
肉じゃがの 匂い満ちればこの部屋に 誰かの帰りを待ちいるごとし(『チョコレート革命』)
二週間先の約束嬉しくて それまで会えないことを忘れる(『とれたての短歌です。』)
日常のさり気ないシーンを女性らしい瑞々しい感性で切り取った短歌が並びます。どれも数十年も前に詠まれた短歌とは思えません。
毎年読んだ感じが違うのが面白い
「サラダ記念日」も出版当時、手にとって読んだ記憶があります。今から35年前というと、ちょうど僕が結婚した翌年です。女性らしい感受性の短歌だな、と当時は感じました。
ここ数年この日に読み返してみると、少しずつ印象が変わってきます。何故なんでしょうか?
人生経験を積むことで、歌に込められた切なさや、細やかな感情のざわめきを、読み取ることができるようになったのでしょうか?
というより、読んだそのときの心象風景が異なるからでしょう。自分が元気溌剌なときと、なんか気分がすぐれないとき、落ち込んだときなどは同じ字面を読んでも感じ方が異なるでしょう。
そんな感じ方の違いも面白いので、これからも毎年この日には俵万智さんの短歌を読み返してみたいと思っています。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.7.6記)