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さて、『今日の一言メモ』第934回です。
「瓜田に履を納れず」
「瓜田に履を納れず」(かでんに くつを いれず)とは、疑念を招くような行為は避けよという戒めです。
瓜畑で靴が脱げても、ウリを盗むのかと疑われる恐れがあるので、かがんで靴を履き直すようなことはすべきではないという教えからこう言われるようになりました。履を納れず」は、靴に足を入れるという意味です。
中国南北朝時代の詩文集である『文選(もんぜん)・古楽府・君子行』に、「君子は未然を防ぎ、嫌疑の間に処らず、瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず(すぐれた人は事件が起こる前にそれを予防し、あらぬ疑いを抱かれるような立場に身を置かない、瓜畑では靴を履き直すことをせず、スモモの木の下では曲がった冠を正すようなことはしない)」とあるのに基づくそうです。
「瓜田に履を納れず」より「李下に冠を正さず」の方が一般的でしょうか。
誤解を招くのは、お互いの価値観が異なるため
なかなかできないことの一つに「相手の立場に立ってものを考える」ということがあります。自分はそんなつもりで言ったのではないのに、相手に誤解されてしまうことがあります。
そんなときは、相手の理解力のなさを嘆くのではなく、自分の言葉が足りなかったことに気づくべきでしょう。では、なんで言葉が足りなかったのでしょうか。
多くの場合、自分の言葉が拠って立つところが自分のスタンスであり、そのスタンスが前提で紡がれた言葉によって誤解を生むのだと思います。
自分にとって自明の理であることが、相手にとってはまったく違うことがあります。典型的な例は、世代の違いでしょうか。昭和の価値観を背景にした言葉が、平成に生まれ育った世代に誤解を受けるのは、ある意味当然のことでしょう。
昭和世代であっても、僕の年代では「忠臣蔵」で主君の無念を晴らすため仇討ちをする赤穂浪士の姿を見て拍手喝采ですが、20歳くらい下の世代は、なんでルールに背いた上司のためにそんな滅私奉公をせにゃならんのだ、と冷めた目で見ます。どっちが正しいとかではなく、そもそも価値観が違うのです。
同世代同士であっても、生まれ育った環境や出身地によって異なる常識を身につけているでしょう。なので、自分の常識は他人の非常識、くらいの意識を持って接する必要がありそうです。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2022.7.11記)