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さて、『今日の一言メモ』第935回です。
「義を見てせざるは勇無きなり」
「義を見てせざるは勇無きなり」とは、人として行うべき正義と知りながら、それをしないことは、勇気が無いのと同じことだ、という意味です。
孔子の言葉を記録した『論語・為政』に、「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂(へつら)うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」とあるのに基づくそうです。
「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しい行いのことです。
「雉も鳴かずば撃たれまい」とも言うが……
雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい、とは、余計なことを言ったばかりに、自ら災いを招くことです。
今年(2022年)1月23日に栃木県内のJR東北線で起きた事件があります。優先席に寝そべって加熱式たばこを吸っていた20代の男に、男子高校生が「やめてもらえますか」と注意をしました。
すると男は逆上し、車内や停車駅のホームで高校生に殴る蹴る暴行を加え、顔面骨折などの重傷を負わせました。男は傷害容疑で逮捕、送検されています。
この時の男子高校生は確か喘息持ちで、男の加熱式たばこにどうにも我慢できず注意に及んだと記憶しています。まさかそんな暴行を受けるとは思わなかったはずです。
なんとも気の毒な話ですが、それよりも周りの乗客の対応はどうだったのでしょうか。大多数の乗客は、ただ遠巻きにして見守るだけで何もできなかったでしょう。うかつに止めに入って自分も怪我をする可能性があるので、それは仕方ないことかもしれません。
ただ、1人でもいち早く車両の「SOS」ボタンを押して乗務員に知らせる人がいなかったのでしょうか?自らが止めに入るのは無謀だとしても、なんとか乗務員に知らせる工夫ができなかったのでしょうか?
もし車両の「SOS」ボタンが犯人の視界に入るのであれば、そっと隣の車両に移り、その車両の「SOS」ボタンを押して乗務員に知らせるよう専門家は指導しています。
自分がその場面に遭遇して、「義を見てせざるは勇無きなり」と、行動できるかは甚だ心許ないです。もしかしたら、自分に被害が及ぶかもしれない……という恐怖と戦わなければなりません。
どちらの後悔が大きいか
結局、行動するしないは、どちらが後悔が大きいか、ということでしょうか。
行動した結果、自分に被害が及んで後悔するのか、行動せず、後々まで後ろめたい思いをひきずるのか、どちらにしても後悔するのであれば、どちらがマシか選択するしかないと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.7.12記)