(画像出典元はこちら)
「河海は細流を択ばず」
「河海は細流を択ばず」(かかいは さいりゅうを えらばず)とは、黄河や大海はどんなに小さな川の流れでもすべて受け入れるため、大きな川や深い海となり得たという意味です。
そこから、大事業を成し遂げる者は人々を包容する度量の広さを持つということの例えになりました。
古代中国で司馬遷によって編纂された中国の歴史書である『史記』に、「泰山は土壌を譲らず、故に能くその大を成す。河海は細流を択ばず、故に能くその深を就す。」とあるのに基づくそうです。
泰山が大きな山になったのは、どんな土でも辞退することなく受け入れたから、という意味です。
受け流すことも身につける
何事も受け入れていくことは、言葉では簡単ですが、いざとなると、自我の「我」が邪魔をしてなかなか難しいものです。
しかし、身の周りで起きている良いことも悪いことも全て受容することができたら、どんなに楽になるでしょう。
故事によると、お釈迦様は次のように言ったそうです。
「仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったことは一時のことで、いずれ過ぎ去るであろう。よって、全てを受け入れよ。」
なるほど……どんな強い向かい風もいずれはやむから、それまでは柳に風と受け流して、じっと耐えることも大事だという教えですね。
些細なことに悩んだり、怒ったりすることなく、あるものは受け流し、日々感謝の気持ちを忘れず穏やかな気持ちで過ごすことが、器の大きい人になるための修行かもしれませんね。
どんな組織も、広い世界のなかでは小さな金魚鉢
例えば、会社の中で仕事に失敗して絶体絶命の窮地に陥ったとしても、大きく俯瞰して見れば、会社という器、言ってみれば小さな金魚鉢の中の出来事に過ぎません。
そんな小さな世界の中で絶望し悩み悲しむことなど、バカバカしいことです。広く目を転じて、必要なら小さな器から飛び出すことも考えたらどうでしょうか。
僕は、12年前に小さな金魚鉢から飛び出してから、それを痛切に実感しました。実際に小さなことにクヨクヨ思い悩むことがなくなりました。まあ、金魚鉢から飛び出した当初は、あまりに広い世界に翻弄されて生き延びるのに必死で、思い悩む暇もなかったですが……。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・・・・
(2023.6.16記)