人が書物を紐解き、内面に広がる思いに思索を深め、ふと他の人がどう感じるか聞きたくなった時、その問いかけに富田がどんな短文で応えたのか、シリーズでご紹介している今日は9回目。
問いかけの内容は、社会人版キムゼミ1期生が「書評ワーク」という活動でアップした投稿。今日の問いかけは「『わかってほしい!』という思いで、苦しんだことはありますか?」等です。
ゼミ生の投稿
H.Oさんの【書評ワーク】
書名: 『明日死ぬかもしれない自分』
≪議論したい内容≫
人は、どこまでお互いを理解できるのか、というか、できないかがものすごくリアルに描かれた作品。
わたしは本書を読んで、わかりあえなくても、信じ合えること、許し合えること、愛し合えることを知ってしまった。わたしたちは「わかりあえない」という前提からはじめたほうがずっと幸せになれる。そう思った。
「わかってほしい!」という思いで、苦しんだことはありますか?
その苦しみとはどうやって折り合いをつけましたか?
富田のコメント
>> 「わかってほしい!」という思いで、苦しんだことはありますか?
>> その苦しみとはどうやって折り合いをつけましたか?
ここでは結局わかってもらえなかった…ということを問いの前提としてみると…
う〜む…「苦しみ」の度合いがどの程度かでだいぶ折り合いのつけ方が変わってくるでしょうね。
例えば、この世から消えてなくなりたいとか、三日三晩食事が喉を通らないほどの苦しみなのか…
恋い焦がれた彼 (彼女) に自分の思いを伝えきれずに悶々とする苦しみなのか…
仕事のプレゼンでなんとか提案を通すべく頑張ってみたが、その表現に悩み「わかってほしい!」という気持ちだけが先走ってしまう苦しみなのか…
いずれにしても、今迄の人生経験で言えることは、苦しみや痛みも「日にち薬」で癒えるのは事実、人間は忘れることのできる動物であることが救い、そして折り合いがついたと言えるのは「次なる機会」に巡り合った時かな。うまく言えなくてゴメンナサイ。
失恋を癒やすのは、次の恋しかない?!・・・(^_^)
・・・・・・・・・・・・・・
さて、皆さんならどのようにコメントしますか?
そして、次回の「書評ワーク」の対象図書は以下になります。ではまた!
・・・・・・・・・・・・・・
(2013.11.06記)