前回は、社会人版キムゼミ卒業生の合宿で得た「時間の有効活用」に関する一つの気付きをご紹介しました。
今回も引き続き、合宿で得た気付きについて書きたいと思います。
人生は一瞬の光だが、その過程では多くを失う
合宿参加者の一人が、明日からの自分の行動指針を定めた「マニフェスト5か条」を発表する中で、「閃光人生」と題するスライドを作成してくれました。
曰く、人生は一瞬の閃光のように過ぎ去る。その中で、どう生きるか。「光を見る」「光を解放する」etc…という表現で発表を行ったのが大変印象的でした。
その後の質疑応答、ディスカッションを経て、その一瞬に過ぎ去る人生の中でも多くのものを失っていく、という話題になりました。
キム先生のコメントです。
「人は何かを失ったことを悲しんでいる時、その失ったものを一点の悔いの残らないほど大切にしてきたのか?と問われてイエスと答えられるだろうか。殆どの場合は、失ってから初めてその価値に気づき、大切にしてこなかったことを後悔する。
一方、そうした後悔の念にとらわれた時は、まだ失っていない価値のあるもの、そしてそれを大切にしていないことに気づくチャンスでもある。そして、今迄よりももっとそれらを大切にする機会として捉えてみることが大切だ。」
喉元過ぎても忘れない熱さ
あの大震災から丸3年と2日が経ちました。今週は、様々なメディアが特集を組み、復旧復興に向けた前進と停滞を伝えていました。確かに忘れたくても忘れられない日になったと思います。
一方で、人は「忘れる」ことで悲しみを癒やし、明日への行動に繋げる生き物であることも事実です。「忘れる能力」は神が与えた大変大事な能力でもあるのです。どんなに大事な人を亡くしても、日にち薬という言葉があるように、時の流れと共に多くの人は立ち直っていきます。
今回の合宿は、3年目の3.11を迎える直前ということもあり、様々なことを考える機会になりました。そして、復旧復興に向かう努力は忘れることなく継続し、失ったものについての悲しみは日にち薬で癒やして、できるだけ早く忘れることができれば、と願います。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉も悪い意味ばかりではないと思います。いつまでも熱さを覚えていれば、つらいだけです。しかし、一方で忘れてはいけないのは、あの時痛切に感じた「何気ない日常」の有り難さ、大切さです。
時の経過と共に、日常に埋没し、普段の生活を送っていると、その幸せを忘れてしまいそうになります。目の前の出来事、回りの人間に対して、悩んだり不平不満を言ったり愚痴を言ったり・・・つい、そんなことをしてしまう時、「今、こんなことでクヨクヨできるのは、本当は何て幸せなんだろう!」と思いたいですね。
なかなか難しいことではあるのですが、あの大震災を経験した我々が心掛けたいことだと思います。
そういえば、戦中派で東京大空襲を経験した母が何度も言っていました。
「こうして夜、煌煌と灯りを付けて、白いお米のご飯が食べられるだけで、私は幸せよ。」
今なら分かる言葉です。
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さて、今日はここまでにします。明日から5日間は、富山・金沢へ仕事と旅行に出向いてきます。あちらから記事をアップできればと思います。
ではまた!(^_^)
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(2014.3.13記)