さて、それでは再び「今日は何の日?」シリーズに戻り、第28弾をお送りしましょう。
米騒動の日
今から96年前、1918年 (大正7年) 7月23日、富山県魚津の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こしたのです。そして、これが全国に広がった米騒動の始まりでした。
その当時、米の需要拡大に生産が追いつかなかったことや、米の輸入が自由化されなかったこと等により米価が急騰しました。
そこで、富山県魚津の漁家の主婦たちが井戸端で、「米が高くなるのは同地方の米を県外へ移出するため」だから、米の積出しを中止してもらおうと相談し、大人数で行動を起こしたと伝えられています。
この魚津の運動を皮切りに、富山湾沿岸一帯で米価引き下げ・困窮者救済の要求運動が発生しました。
これが新聞で報道されると、翌月には名古屋と京都で大騒動が起こるなど全国に波及していきます。とうとう警察だけでは鎮圧できずに軍隊まで投入され、30人の死者と多数の負傷者を出すという痛ましい事態になりました。
米価暴騰の背景
当時の米相場を確認してみましょう。
僅かの期間に、3倍近く相場が暴騰しています。
この背景には、資本主義の急速な発展があった、と指摘されています。
第一次世界大戦の影響による好景気 (大戦景気) によって、都市部の人口増加、工業労働者の増加がもたらされます。
この他に、養蚕などによる収入の増加があった農家は、それまでのムギやヒエといった食生活から米を食べる生活に変化していきました。
このように、農業界からの人材流出と米の消費量の増加が続いた事に加えて、第一次世界大戦の影響によって米の輸入量が減少した事も重なって、米価が暴騰することになったのです。
そして現代
ちなみに、ここ2年ちょっとの米相場をコムテックスの「東京コメ」で確認してみました。
第二次世界大戦が終わって10年余りが経った頃、農業技術の改良による豊作続きや、食生活の欧米化による米需要の減少などにより、過剰米(コメ余り)が出始めます。
古米や古古米の問題が起きたのがこの頃です。その後、政府米とは別に自主流通米が登場して、自由に米の種類を選べるようになりました。
米騒動が起きた頃、また戦時中の物資不足で白いご飯が食べられなくなった頃のことを思うと、現在の状況はなんとも恵まれていると言わざるを得ません。
外食しても、このお店のご飯はいつでも炊き立てで美味しい、とか、あのお店のご飯はまずい、等と比較もできます。贅沢を言わなければ、お腹いっぱい白いご飯を食べることは難しいことではありません。
というわけで、今の時代に生きられることに改めて感謝しなければ、と思った梅雨明け翌日の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2014.7.23記)