「今日は何の日?」シリーズ第82弾です。
火山噴火としては、戦後最大の被害を出した御嶽山では、行方不明になっている方の捜索が今なお続いています。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います…
そして迎えた今日10月3日は、今から31年前の1983年に、三宅島が21年ぶりに噴火した日です。この時は、溶岩流によって約400棟の住宅が埋没・焼失しました。
三宅島は噴火の歴史
三宅島は、東京の南海上175km、伊豆大島の南57kmに位置する、直径8kmのほぼ円形をした島です。
海底噴火により島が形成され、現在もその火山活動は続いています。
最近500年間では、平均50年の間隔で13回の噴火が起き、明治時代以降だけでも5回を数えています。その中でも三宅島の火山活動で特に語られるのは直近の2回、1983年、2000年です。
次の図は、1643年以降に発生した噴火における主な溶岩流および噴火地形となっています。
1983年の噴火
1983年に発生した噴火は、12:00頃からの小さな地震から始まりました。
そして、15:23頃に南西山腹に生じた割れ目から噴火し、小火口の列が南北に延びていきました。
割れ目火口から列をなして高さ100m以上に吹き出た溶岩は、西から南西方向3つに分かれて流れ、集落に達して民家を焼きました。
16:38には最初のマグマ水蒸気爆発が発生。17:10頃には島の南端で爆発が発生し、17:22には隣の御蔵島から新澪池の西方で火柱が目撃されています。
その後、続けて激しい爆発が発生し、翌4日未明にかけて爆発や噴火が相次ぎました。
噴火により、住宅約400棟が埋没・焼失してしまいました。山林耕地等に被害が出ましたが、幸いにも人的な被害はなかったのです。
三宅島では、2000年にも大規模な噴火があり、2005年に解除されるまで、実に4年5ヶ月間にわたり全島民が避難したのです。
御嶽山に近づく台風
大規模な噴火による人的な被害がなかった三宅島に比べて、気候の良い時期に御嶽山登山を楽しんだ多くの人々が、全くの不意打ちによる噴火により、多くの被害を受けました。
火山の国日本に住んでいることは承知していても、こうもいきなり噴火に直面した人々の恐怖はいかばかりであったろうかと思います。
未だ行方不明者の捜索が続く現在、台風18号が勢力を強めながら日本列島に近づいています。
少量の雨でも、土石流の発生が心配される御嶽山に被害が及ばないように祈るばかりです。
・・・3年半前の東日本大震災で、昨日までの日常をいきなり根こそぎ奪われた人々に、胸を締めつけられるような思いを抱きました。
そして、今回も秋の素晴らしい青空と、紅葉に包まれた絶景の世界が暗転し、命を奪われた人々に、いたたまれない思いをしました。
今の平凡でも平和な暮らしを送ることができているのは、やはり奇跡なのだと思わざるを得ません。
昨日を生き、今日を生きる。もしかしたら、明日はないかもしれません。それでも悔いの残らない生き方をしなければ…と痛切に思う金曜日の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2014.10.3記)