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11月16日は、1997年にサッカー男子日本代表が、初めてFIFAワールドカップ本戦出場を決めた日

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「今日は何の日?」シリーズ109回目です。

今から17年前の1997年11月16日に、サッカー男子日本代表が、W杯フランス大会に向けたアジア第3代表決定戦に勝利し、W杯初出場を決めました。

ジョホールバルの歓喜

この日の出来事は、決戦の地がマレーシアのジョホールバルだったことから「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれるようになりました。

1998年W杯フランス大会のアジア地区の出場枠は3.5。アジア最終予選は、10チームがA・B組の2組に分かれ、それぞれホーム&アウェー方式にてリーグ戦を行い、まず各組1位の2ヵ国が本大会出場権を獲得します。

次に、各組2位同士で第3代表決定戦を行い、この勝者が3番目の本大会出場権を獲得、敗者はアジア4位としてオセアニア1位との大陸間プレーオフに回ることになっていました。

日本代表はB組2位となり、A組2位のイランと3番目の本大会出場権を賭けて戦ったわけです。

試合はもつれて、2-2のまま後半が終了、ゴールデンゴール方式の延長に突入しました。そしてPK戦になるのか、と思われた延長後半、それまでゴールを外しまくっていた岡野雅行選手が劇的な決勝ゴールをあげました。

当時の代表監督だった岡田武史監督をはじめスタッフ・ベンチメンバーが一斉にピッチへ飛び出し、ヒーローの岡野選手をもみくちゃにしたシーンは今でも脳裏に焼き付いています。

YouTubeにアップされている映像です。劇的なゴールシーンは6分過ぎに訪れます。

長い長いチャレンジの末に

手に汗握るシーソーゲームの末に、日本はこの劇的なゴールデンゴールで悲願のW杯本戦初出場を決めたわけですが、過去には1954年のW杯スイス大会予選に参加して以来43年目、10回目の挑戦での悲願達成でした。

その前の大会である、1994年W杯アメリカ大会・アジア地区最終予選の最終戦では、試合終了間際のロスタイムに対戦相手イラク代表の同点ゴールが決まり、日本のW杯初出場が確定するまでわずかな時間を残すだけの状況から、一転して予選敗退が決まった「ドーハの悲劇」がありました。

W杯出場に向けて、何世代もにわたる監督・スタッフ・選手達がその悲願を受け継ぎ、見えない場所で練習を繰り返し、何度も悔し涙を流しながら、とうとう本戦出場を果たしたわけです。

これまでの経緯を思い返すと、時の長さは比較になりませんが、1882年3月19日に着工されたサグラダ・ファミリアを連想してしまいます。最近になって、ガウディ没後100周年目の2026年に完成すると発表されましたが、その工事期間は実に132年に及ぶことになります。

この間に、一体何世代の建築家や職人達が関わることになるのでしょうか。

このサグラダ・ファミリアの完成予想動画は有名ですが、何度見ても感動ものです。

人の一生には限りがあり、誰でも多少の違いはあっても必ず最期を迎える日が来ます。その時に、形はなくともどれだけの思いを後生の人たちに残すことができるでしょうか。

亡くなったあとでも、その著作や作品や伝えられた思いなどによって影響を与え続けられる人は凄いと思います。

自分に残された時間で、少しでも後進に伝えられることを増やしたいと思う日曜日の朝なのでした。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
 
 
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(2014.11.16記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

コメント

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