「今日は何の日?」シリーズ112回目です。
今から14年前の2000年11月20日に、野党が森内閣不信任決議案を提出する動きを見せると、与党である自民党/加藤紘一氏(加藤派会長)とその同志の国会議員が賛成もしくは欠席すると宣言し、いわゆる「加藤の乱」を起こしました。
「加藤の乱」とは
当時、衆議院の議席は与党が480人中272人を占め、過半数より31人上回っていましたが、衆議院の加藤派45人とこれに同調しようとする山崎派19人の計64人が造反をすれば、内閣不信任案が可決され、森内閣は内閣総辞職か衆議院解散を余儀なくされる事態になります。
この時は、自民党幹事長の野中広務による党内引き締めにより、加藤氏の意図は失敗しましたが、自民党内の混乱は森政権の低落に一層拍車をかけることになり、翌年春の自民党総裁選での小泉純一郎氏当選へと繋がったのです。
加藤の盟友である山崎拓氏(山崎派会長)に加えて、小泉純一郎氏は1972年初当選の同期組で「YKKトリオ」と呼ばれていました。
加藤氏はYKKトリオの長男格で、派閥を継承し総裁候補としての実績を着々とあげつつあったのですが、1999年9月の自民党総裁選挙で現職総裁の小渕恵三に挑んだことにより、非主流派として長らく干されてしまいます。
総裁候補一番手と認識されていたにもかかわらず、活路が見出せない中、小渕総理が脳梗塞で倒れ、いわゆる五人組によって不透明な形で森総理が誕生します。
国民の支持が低い森内閣のままで、2001年参院選に突入すると自民党が惨敗することが予想されたため、政局は混迷を深めていました。
そこで加藤氏は、世論の支持を取り付けようと奔走し、野党が内閣不信任案を提出する動きに同調しますが、結局は自民党幹事長による切り崩しに屈し、失敗に終わったのです。
このことで、総裁候補としての道は断たれることになります。
政治家としての矜持とは
「矜持」という言葉があります。「人としての自信、誇り、プライド」という意味ですね。
ここは絶対譲れない、という一線があると思います。この道を踏み外せば、自分自身が築いてきた全てのものを失う、という一線かもしれません。
この時の加藤氏がどのような心持ちで「加藤の乱」を起こしたのか、は本人のみぞ知るわけですが、その行動の根底にはどんな矜持があったのでしょうか。
総理となり、自民党を改革し、日本をよくしたい、という熱い思いだったのでしょうか。それとも頂点を極めたいとする抑えきれぬ思いだったのでしょうか。
いずれにしても、結果的には失敗に終わり、そのチャレンジはギャンブルに終わったように見えます。
どんな思いがあったにせよ、自民党員として造反する、という禁じ手を選んだことは、多数決によって物事を決める民主主義においては大義と共に、勝ち目がなかったのではないでしょうか。
当時は「殿、ご乱心」といった揶揄の言葉もマスコミに登場したと思いますが、してはいけない勝負に挑んでしまった結末と言われても仕方がありません。
・・・さて、いよいよ衆議院解散総選挙も日程が正式に決まりました。この日本の将来を託す議員を選び出すことが、年末に向けて、とても重要なミッションとなりました。
加藤氏の行動は失敗に終わったわけですが、自身の政治生命を賭しても日本の将来を真剣に良い方向に変えていこうとする候補者に今回は巡り会えるでしょうか。
注意深く見極めたいと思います。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2014.11.20記)