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7月8日は、黒船が来航した日…そして、外圧に負けない生き方をしようと考えた!

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さて、「今日は何の日?」シリーズ第18弾。

7月8日に黒船が来航

今から161年前、1853年(嘉永6年6月3日)7月8日、ペリー提督率いるアメリカ海軍所属の東インド艦隊艦船(黒船)4隻が、江戸湾浦賀湾に来航しました。

 (出典 : Wikipedia)


(出典 : Wikipedia)

当時の狂歌です。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」

上喜撰という銘柄のお茶と蒸気船をかけていて、船も一杯、二杯と数えることから、当時の幕府を揶揄したものとか。

アメリカは幕府に開国を要求し、巨大軍艦による武力誇示をしました。そして、翌年には交渉が開始され、全12箇条に及ぶ日米和親条約(神奈川条約)が締結されて日米合意は正式なものとなったのです。

これで、3代将軍徳川家光以来200年以上続いてきた、いわゆる鎖国が解かれました。

この時から徳川幕府が崩壊して、明治維新によって新政府が成立するまでの激動の時代を「幕末」と呼びます。

そして明治維新へ

この後、幕府の弱腰を批判し、朝廷を押し立てて外国人を追い払えという尊皇攘夷運動が起こり、更に討幕運動へと展開します。

政権担当能力を無くした徳川幕府を倒し、世界情勢に対応できる新政府樹立をめざしたのです。

そして、下級武士層が、尊皇攘夷運動で世の中を揺り動かし、その運動をうまく利用した薩摩藩、長州藩が中心となって幕府を倒すことに成功しました。これが1868年の明治維新です。

明治維新の大きな特徴は「文明開化」ですね。

西洋化によって「文明」が開くのですから、それ以前の徳川時代までの日本の文化を全面否定したわけです。とにかく徹底的に変えてしまう。象徴は、着物から洋服です。

明治政府は、基本的には薩摩・長州出身者による藩閥独裁政治からスタートしました。これに対して、自由民権運動がわき起こるのが1870年代半ばから。今風に言えば、民主化運動です。

明治政府も、一定の譲歩を示し、徐々に民主化をしていきます。1881年には、「国会開設の詔」を発表し、10年後の国会開設を約束、1889年には大日本帝国憲法を発布、1890年には国会を開設しました。

政治制度も完全に西欧式に変えたわけです。明治政府の中心である薩長藩閥グループにとっては、民主化自体はあまりやりたくなくても、西欧列強に日本を文明国として認めてもらうには、憲法を制定し国会を開く必要があったわけです。

外圧によって起こされる変化

こうして開国から一気に明治維新にまで進んだ大きな要因は、まさしくペリーの黒船来航という外圧によるものでした。

ずっと後になりますが、第二次世界大戦の敗戦により、それまでの軍国主義から平和主義へと大きく方向転換したのも、占領軍による政策という外圧でした。

日本の歴史は、外圧により大きく変えられてきたわけです。こうした歴史があるので、日本は海外からの圧力に弱い部分があるのかもしれません。

個人の生き方にしても、周りをおもんばかり、摩擦を極力避けようとする国民性に影響したのは否定できないかも。

長く農耕民族として生きてきて、共同体の中で和を乱すことは、即生活に悪影響を及ぼす、ということもあったのでしょうけど。

いずれにしても、時代が大きく変わる中で、個人の生き方についてきっちり基軸を持ち、周りに流されることなく、しっかりぶれずに進んで行きたいものだと思った、台風8号の進路が気になる朝なのでした。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2014.7.8記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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