さて、今日4月16日は「大志を抱く日」だそうです。
「大志を抱く日」の由来
今から138年前の1877年 (明治10年) 4月16日に、札幌農学校に赴任していたウィリアム・S・クラーク博士がアメリカへ帰国しました。
その時残した言葉が「Boys, be ambitious (少年よ、大志を抱け) 」だったのです。それを記念して、この日が「大志を抱く日」となりました。
クラーク博士は、アメリカ合衆国の教育者で、化学、植物学、動物学の教師をしていました。
農学教育のリーダーであり、日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年 (明治9年) 7月に札幌農学校教頭に赴任したのです。
「大志を抱く日」に思うこと
冒頭の画像は、さっぽろ羊ヶ丘展望台にある有名なクラーク像です。地平に腕を伸ばしたその像を訪れた人は、きっと同じポーズをとって写真を撮ったことでしょう。
僕が最初に「Boys, be ambitious (少年よ、大志を抱け) 」の言葉を聞き、クラーク像の写真を見たのは、小学校の時だったでしょうか。
当時は「大志 (たいし) 」という言葉の持つ意味がよく分からず、先生か親に聞いたはずです。
そして幼心に「大志=夢」であるな、と納得した記憶があります。
それから月日は流れ、中学受験を経験し、慶應義塾普通部という男子中学に入学し、詰め襟の制服に身を包んで通学する日々を過ごしました。
そのまま、高校・大学と内部進学し、同級生と同じように有名企業への就職を目指しました。
その間に身につけた処世訓は「分相応」というものだった気がします。慶應義塾という世界に中学から大学まで身を置いていると、とんでもなく優秀な奴や、家がとんでもなくお金持ちだったり、親がとんでもなくエライ人だったり、とにかくいろんな世界を見ることになります。
もちろん、とんでもなくダメダメな奴がいたり、家がお金持ちのせいで甘やかされて育った奴もいました。
僕の父親は、ごく普通のサラリーマン (当時の言い方 (^^; ) でしたから、凄い奴らと同等の世界には生きられない、といつのまにか「分相応」をモットーにしていたのです。
社会人になってからは、そんなに規模は大きくありませんが、社風が良い会社で、上司・先輩・同僚・後輩・部下に恵まれた社会人生活を送ることができました。
途中合併ということもありましたが、同じ会社に33年間も勤めたのですから、満足していたのだと思います。
ただ、50代を迎えた頃から定年後を見据えて、人生80年時代をどう生きるか、考え出しました。
その中で、頭から離れなかったのが小さい頃に記憶した「大志=夢」という言葉だったのです。
そして、会社を55歳でアーリーリタイアメントしましたが、その前後から現在に至るまで、この「大志=夢」を考えている次第です。このへんは、また機会を作って書きたいと思います。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2015.4.16記)