さて、今日は「万霊節」だそうです。
「万霊節」の由来
キリスト教で、この世を去ったすべての信徒を記念する日です。
11月1日の万聖節が「諸聖人の記念日」なのに対し、万霊節は「諸死者の記念日」と呼ばれています。
先祖の霊を静め、生け贄をささげて供養する習わしだったとか。
「万霊節」に思うこと
僕はキリスト教徒ではありませんが、キリスト教の祈りの一つ「ニーバーの祈り (英語:Serenity Prayer) 」をある本で読んだ時に、とても印象に残りました。
serenityの日本語の訳語から「平静の祈り」、「静穏の祈り」とも呼ばれているそうです。
その内容は、以下の通りです。
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
日本語訳(翻訳者:大木英夫)
変えることができることを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さ、そしてこの二つを見分ける知恵が大事、という内容は僕の処世訓の一つになりました。
「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だ。」という言葉があります。
でも、過去に起きた事実は変えられないが、それをどう評価するか、どう受け止めるか、という解釈は変えられる、ということを2年前に学びました。
変えることができるものを、社会や他人など環境のせいだと言い訳して、変える努力をすることから逃げていないか、自問自答を繰り返す必要があります。
「悩み惑うことが、すなわち生きるということそのものだ。」と言います。
諦念に囚われず、何かに向かっていけば、必ず悩み惑うことにぶつかります。でも、それこそ生きている証なのですね。
・・・というわけで、勇気・冷静さ・知恵を磨きながら、これからも大いに悩み惑っていこうと思った「万霊節」の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2015.11.2記)