さて、今日は「津波防災の日」だそうです。
「津波防災の日」の由来
まだ記憶に新しい2011年 (平成23年) の東日本大震災を契機として、「津波対策の推進に関する法律」が2011年6月に制定されました。
この法律で、11月5日が「津波防災の日」と定められたのです。
この日になった理由は、今から161年前の1854年 (安政元年) 11月5日に発生した、安政南海地震の津波の際に、人々を高台に誘導するために稲に火をつけたという「稲むらの火」の逸話にちなんでいます。
この逸話のもとになったのは紀伊国広村 (現在の和歌山県有田郡広川町) での出来事で、主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛だそうです。
物語の概要は、以下の通りです。(出典 : Wikipedia)
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。
祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。
火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。
「津波防災の日」に思うこと
あの東日本大震災の津波で、思い出すのは1枚の写真です。
週刊朝日の表紙になったり、ネットでも評判になった写真です。当時この写真を撮影したのは、AP通信の写真記者だそうですが、この女性があまりにも悲しそうに泣いていたため、名前すら聞けなかったといいます。
後日、この女性は伊藤茜さんと判明し、自宅にいた愛犬のメイを家屋ごと流されてしまい、悲しみに暮れていたのでした。
でも数日後、奇跡の再会を果たしました。(詳細はこちらの記事参照)
昨日まであった当たり前の生活、家、思い出の品々・・・そうしたものが津波に押し流され、跡形もなくなってしまうとはなんと残酷なことなのでしょう。
さらに、愛する家族・親戚・友人を失うつらさは、想像を絶します。
このブログでも何度か書きましたが、「何気ない日常」が毎日続くことは、それ自体奇跡なのかもしれません。
普通に悩み苦しむことができるのは、幸せなことかもしれません。
・・・というわけで、このブログをこうして毎日書き続けることができることにも、大いに感謝しなければ、と思う「津波防災の日」の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2015.11.5記)