閑話休題。
さて、まったくの私事で恐縮ではありますが、今日でめでたく結婚30周年を迎えることができました。そこで、今日はちょっと30年を振り返ってみたいと思います。
結婚30周年は「真珠婚式」
結婚記念日をいつにするかですが、婚姻届を提出した日とする考え、結婚式(≒結婚披露宴)挙行日とする考えの二つがあるそうです。
僕達夫婦は、1986年 (昭和61年) 6月14日に結婚式を挙げ、披露宴を開きましたので、この日を結婚記念日としました。
そして、結婚記念日の主なものは次の通りです。
1周年:紙婚式
5周年:木婚式
10周年:アルミ婚式、錫婚式
15周年:水晶婚式
20周年:磁器婚式、陶器婚式
25周年:銀婚式
30周年:真珠婚式
35周年:珊瑚婚式
40周年:ルビー婚式
45周年:サファイア婚式
50周年:金婚式
このまま元気に過ごして、金婚式を迎えたいものです。
この30年を振り返る
結婚したのは、僕が以前勤務していた会社の大阪支店から、京都支店に異動するのと同時でした。
当時営業マンだった僕は、営業車に乗って京都市内、滋賀県内を走り回っていました。京都で先の戦いというと「応仁の乱」という地でしたから、いろいろ商慣習の違いに戸惑ったこともいい思い出です。
桂離宮近くのマンションが新居でしたので、休日は誰もいない桂離宮の駐車場で夫婦でバドミントンをしたり、松ぼっくりを拾ったりのどかな時を過ごしました。
結婚した翌年に、奥さんの父親が57歳の若さで亡くなってしまったのですが、一人娘の花嫁姿を見て貰うことができて良かったです…
京都で3年半過ごしたあと、東京本店に転勤になり引っ越しました。僕は入社以来、営業畑だったのですが、本店では人事部門に配属になり、新卒採用・中途採用・教育研修・人事制度改訂などに取り組むことになります。
奥さんは、ずっと大阪の高槻で生まれ育ったので、初めての東京でした。でも、趣味のフラワーアレンジメントの教室に通うなどして友人を増やし、元気に過ごしてくれました。
その後、また営業に戻って国内転勤族になるだろうと勝手に思っていたのですが、人事部門に7年半在籍した後、ニューヨークにある現地法人に転勤になるという内示が出ました。
半年ほど国際審査部に在籍し、英会話教室に通いTOEICの試験を受け・・・などしていた時に国際金融危機が起き、海外部門縮小の方針となり転勤はおじゃんになってしまいます。
夫婦揃ってニューヨーク行きの準備を進めていたのですが・・・あの時、ニューヨークに行っていたら、今とは異なる生き方をしていたかもしれません。面白いものです。
そのあとは、ずっと東京本店で勤務したのですが、2年程システム関係のタスクフォースチームのリーダーを任され、ひどい時は3ヶ月ほど、とうに終電が終わった深夜にタクシーで帰宅する日々が続きました。
先に寝てて、と奥さんに言っていたのですが、必ず起きて僕の帰りを待っていてくれて、寝る前にマッサージをしてくれたものです。
あの時、奥さんの支えがなかったら、きっと身体を壊していたと思います。
そんなこんなの時期も過ぎ、同業他社と合併した直後、あのリーマンショックが起こりました。会社の業績も急降下、年収も10%以上減ってしまいました。
でも、奥さんはあれこれ工夫して家計を切り盛りしてくれたものです。
そして、あの東日本大震災が起きた2011年3月、55歳で会社をアーリーリタイアメントしたのですが、もちろん将来のプランを奥さんに話して納得してもらった上での決断です。
その時、奥さんが言ってくれた言葉は忘れません。「あなたが将来悔いを残さないように生きて下さい」そう言ってくれたのです。本当に感謝しています。
そうして、フリーランスのITコンサルタントとして独立し、今日に至ります。
健康で過ごせる日常が宝物
このブログでたびたび書いているのですが、あの東日本大震災以来「何気ない日常が宝物」という思いを強く持っています。
最近、親の介護などがあり、我々夫婦だけでなく家族の健康あってこそ、何気ない日常を過ごすことができるのだと思います。
例えば、お天気のいい日に夫婦でお気に入りの公園 (冒頭の画像です) に行き、持参したお弁当を広げてピクニックをし、食後のコーヒーを飲みながら本を読むことが大好きなのですが、そんな時間が宝物だと思うのです。
これからも、お互い健康に気をつけて元気に過ごし、親の晩年を穏やかに過ごして貰い、きちんと看取っていきたいですね。
そして、20年後には揃って金婚式を祝いたいものです。改めて奥さんに感謝の気持ちを込めて・・・
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2016.6.14記)