(画像出典元はこちら)
さて、前回から続けます。
打席に立てなくなった日々…
「朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ。」というボブ・ディラン氏の言葉で、「人生の成功者」の意味を決定づけられた僕は、その目標に向けて歩き出しました。
その頃の僕は、フリーランスのITコンサルタントとして独立して半年以上が経ち、地場を固めているところでした。独立したのだから、しっかりと地に足を付けて前向きに進んで行かねば・・・と力んでいた時期でもありました。
そして、その時の行動指針である「打席に立って三振するより、打席に立たない方が恥ずかしいことだ。」を忠実に実行しようとしていました。
それなのに・・・気がついたら「試行錯誤して失敗することを怖がっている自分」「みっともない姿を晒すことを怖がっている自分」「臆病で前に踏み出すことを躊躇している自分」がそこにいたのです・・・
仕事では、信頼されるコンサルタントとして評価されなければ、チョンボしてはいけない、と力み、プライベートでは、こんなことやってみたいけど、この歳でみっともないかな、人から変に見られるかな、と自縄自縛に陥り、失敗すること、人に笑われることを恐れて色々なことに取り組むことを躊躇していたのです。
自縄自縛から抜け出すまで
「試行錯誤して失敗することを怖がっている自分」「みっともない姿を晒すことを怖がっている自分」「臆病で前に踏み出すことを躊躇している自分」がいることを、思いもかけず目の当たりにして愕然としたわけですが、まずは落ち着いてそれが事実であることを認めることから始めました。
そして、自分のことを過大評価している・・・というより本当の自分をちゃんと見ていなかった自分がいたことに気が付きます。
自分を過大評価したい自分がいたため、失敗したりみっともないことをするのを自分に許していなかったのです。要するに上手くやれること、ちゃんとやれることしかできなくなっていたわけです。
自分の若かりし頃を思い起こせば、色々失敗したり酷い目に遭ったり理不尽な思いをさせられたことが、その後の人生にさまざまな糧 (かて) を提供してくれたことに改めて気付きました。
そして、ある日配信されたメルマガの一文を読んで、僕の中で何かが大きく動きました。
なにか事を起こそうと思ったなら、「痛い人」になるのは通過儀礼のようなものである。そこを通過しないと次の世界には出られないのだ。
だから「みっともない人」「恥ずかしい人」「痛い人」だと後ろ指を差されれば、その事実を喜べばいい。そうやって試行錯誤しているうちに「やり方」が分かり、洗練もされてきて、目指す世界に到達できるだろう。
そのときになって自分に向けられていたその指(後ろ指)を、そっとご本人の方に向け変えて差し上げれば良いだろう。
(鮒谷周史氏発行の「平成進化論」第3368号より引用)
そして、富田邦明、56歳 (当時) は、2012年の暮れに、それまでの行動指針に代わる行動指針を次のように定めたのです。
- これからどこにいても何をやるにしても、格好をつけたりせず「みっともなく、恥ずかしく、痛い」位の姿を晒し、試行錯誤していくことにしよう!
- 「挑戦 (チャレンジ) という言葉を「みっともなくジタバタあがくこと」と再定義しよう!
こうして2013年以降は、他人にどう思われようと気にせず、躊躇せず思い切った行動をとろうと固く決意した次第です。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2016.10.17記)