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【「哲学」を考える】・・・片意地を張らず、でも、きちんと意地を通すために

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(画像出典元はこちら)

さて、昨日は、日々微差 (の進歩) を心掛ける中で、片意地を張ってはいけない場面、意地を通すべき場面について書きました。

今日4月27日は、「哲学の日」なので、変な意地を張らないために、ちょっと哲学について考えてみることにしました。

「哲学の日」とは?

紀元前399年4月27日に、ギリシアの哲学者・ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受け、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなったことに由来しています。

ソクラテスの妻クサンティッペが悪妻と言われていることから「悪妻の日」ともされています。

ソクラテスは、アテナイ(現在のアテネ) で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知 (無知の知) を自覚させようとしましたが、アテナイ市民には受け入れられず、告発され死刑判決が下されてしまうのです。

弟子たちは脱獄を勧めましたが、「悪法も法」と言って毒杯をあおったとされています。

「哲学」とはなんぞや?

哲学というと、アリストテレスやセネカ、カントやキルケゴールといった名前を思い浮かべて、どうしても難しそうだと思ってしまいます。

で、哲学とはなんぞや?と調べてみると、例えばWikipediaではその説明の一部に次のような記載があります。ちょっと難しいですね。

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。

哲学は学説ではなく、活動である。

哲学の仕事の本質は解明することにある。

哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。

思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。

— ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年、51頁より

また、YAHOO!知恵袋のベストアンサーに選ばれた回答に、次のような記載がありました。

さまざまな学問領域を網羅して、人としての立場から発言をする人が、哲学者の役割です。

哲学は、科学を束ね総合する立場に位置している学問です。

個々の学問では、答えられない「生と死」の問題や、「生甲斐」「愛について」「幸福とは何か」「美とは何か」などが対象分野となっています。

自分の人生を「いい方向」に向けて、より良い人生を生きる知恵を、偉大な先人から学んで行けるのが、哲学の意義です。

現在直面しているいろいろな問題に、哲学はその本当に正しい答えを与える可能性が、大いにあります。

哲学的に考える

乱暴に要約すると「哲学とは、どう生きるか、を考えること」といえそうです。

1+1=2のように明快な答えがない問題に対して、いくつも正解があるような問題に対して、ある導きをするのが哲学の役目かもしれません。

どこで意地を通すか、どこで片意地を張らずに済ませるか、といったことは、まさしく「どう生きるか」に通じるものです。

そして、こうした問題については、先人たちが様々な書物などで知恵を残してくれています。ここはその知恵に大いに学びたいものです。

少々頭に血が上った時に、「よし、ここは哲学的に考えよう」と思えば冷静になれるかもしれませんね。

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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

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(2018.4.27記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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