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さて、「今日の一言メモ」第49回です。
ニーバーの祈り
古くから伝えられている祈りの言葉に、「ニーバーの祈り (英語:Serenity Prayer) 」があります。
serenityの日本語の訳語から「平静の祈り」、「静穏の祈り」とも呼ばれているそうです。
その内容は、以下の通りです。
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
日本語訳(翻訳者:大木英夫)
変えることができることを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さ、そしてこの二つを見分ける知恵が大事、という内容はいつの頃からか僕の心の中に常に存在するものになりました。
自己否定でも自己肯定でもない「自己受容」
人はなかなかやっかいなもので、何かでつまずけば「ああ、自分は何をやってもダメだ…」と自己否定に陥ったり、何かちょっとうまくいけば「自分は凄い!」と自己肯定が過ぎたりします。
自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。
一方、自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく前に進んでいくことを指します。
例えば、テストで点数が悪くても、その点数を受け入れて「100点に近づくにはどうしたらいいか」と考えて、悲観したりしません。それは、いわば「肯定的な諦め」と言えます。
自己受容とは、「変えられないもの」に注目するのではなく、「変えられるもの」に注目することです。
あるがままを受け入れ、ないものねだりをせず、勇気を持って行動し前進する。それが「いま、ここ」を生きるということでしょう。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2019.2.26記)