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さて、「今日の一言メモ」第223回です。
「鰯の頭も信心から」
「鰯 (いわし) の頭も信心から」とは、つまらないものでも、信仰の対象となれば有り難いと思われるようになるという例えです。
鰯の頭のようなつまらない物であっても、神棚にまつって信心すれば、有り難いと思うようになることから、こう表現されています。
第三者の目からはつまらないものに見えても、信心する人にとっては尊くありがたい存在になるということです。
「信心から」は、信心次第という意味です。
昔、節分の夜に鰯の頭を柊の枝に刺して門口に飾っておくと、鰯の臭気が邪鬼を追い払うといわれていたことからできた言葉と言われています。
鰯の美味しい季節に
最近になって、秋空らしいイワシ雲が見られるようになってきました。
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連なった雲の様子が、鰯の大群のように見えることから、こう呼ばれるようになりました。
そして、最近では、秋の魚を象徴するのが鰯になったと思います。近年はサンマが不漁で、獲れても小さく細いものが高値で店先に並んでいます。
それに比べて、鰯は豊漁で丸々と太った姿で手軽な値段で売られています。
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どんなことでもありがたく思い、まずは健康を祈る
鰯の頭のようなつまらないものでも、信仰の対象となれば有り難いというのは、少し鰯に失礼のような気がします。
どんなものでも大切にすれば愛着も湧きますし、大事にします。特に、食べ物を美味しく頂けるのは、健康あればこそです。
健康を害しては、どんなに高級なものであろうと美味しく頂くことはできません。
どんなことでもありがたく思い、まず健康でいることを祈るのが第一だと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.9.25記)