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さて、「今日の一言メモ」第237回です。
「初心忘るべからず」
昨日のブログ記事で、世阿弥の「離見の見」という言葉をご紹介しました。世阿弥は「風姿花伝」をはじめとする多くの著作で、印象深い言葉を残しています。今日の「初心忘るべからず」も、その一つです。
「初心忘るべからず」とは、一般的には「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図するところとは、少し違うようです。
世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。
つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。
三つの初心
世阿弥は、晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、「初心」についてまとまった考えを述べています。
その中で世阿弥は、「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、第二に『時々の初心忘るべからず』。第三に『老後の初心忘るべからず』」の、三つの「初心」について語っています。
「ぜひ初心忘るべからず」
若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。
「時々の初心忘るべからず」
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。
「老後の初心忘るべからず」
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。
変わる時に不安と恐れを感じたら「初心」に立つ
このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているわけです。
その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということです。
今の社会でも、さまざまな人生のステージ (段階) で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験のことです。
そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのです。
人生100年時代、マルチステージを生き抜くには、次のステージに向けて、常に投資と再創造 (Re-creation) を怠らず、「初心」に立ち襟を正して進んでいきたいですね。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.10.10記)