(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第482回です。
「対岸の火事」
向こう岸で起きている火事は、こちらの岸まで燃える心配がないことから、自分には何の関係もないので、痛くも痒くもないという意味です。
そんな「対岸の火事」を見ることを「高みの見物」といいいます。高みの見物とは、利害の関係ないところから、傍観することの例えですね。
また「昨日は人の身、今日は我が身」という言葉があります。昨日他人に降りかかった災難が、今日は自分の身に降りかかってくるかもしれないのだから、他人事だと思ってはいけないという戒めです。
「未災地」から「被災地」への心の備えを怠らない
今年も、異常気象のせいで、九州を中心に豪雨被害が発生しました。過去に類を見ない(と毎年言われている気が……)豪雨により、甚大な被害となったのです。
大地震もそうですが、こうした被害に見舞われるのは、限られたごく一部の地域だけとたかをくくり、「対岸の火事」とばかりに「高みの見物」を決め込むことは軽率のそしりを免れません。
まだ被災地になっていな地域も、ただ災害が起きていない「未災地」に過ぎず、いつ「被災地」になるか分からない、という指摘があります。
いつ起きるか分からない首都直下地震も、一旦起きたとしたら、想定される被害だけでもその甚大さにゾッとします。(こちらのサイト参照)
このコロナ禍が第2波到来かと言われている現在にも、大地震がそこまで迫っているかもしれません。心掛けはいつも「常在戦場」とし、その日に備えて準備を怠らず、その日が来ても冷静沈着に行動できるようにしたいと思います。
そして、コロナ禍の中でニューノーマルな日常を定着させ、健康で過ごせることに感謝して生きたいと思います。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
・・・・・・・・・・・・
(2020.7.20記)