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さて、「今日の一言メモ」第556回です。
「明鏡止水」
「明鏡止水」(めいきょうしすい)とは、邪念が無く、静かに落ち着いて澄みきった心の状態の例えです。「明鏡」は、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、「めいけい」とも読みます。「止水」とは、流れずに静かにとどまって、澄んだ水面のことです。曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、安らかに落ち着いた心境を表現しています。
『荘子・徳充符』にある「明鏡」と「止水」の二つの言葉を合わせてできた句だそうです。「明鏡」は、甲徒嘉のことば「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり(鏡がきちんと磨かれていれば塵は付かない、塵が付くのは鏡が曇っているからだ)」が原典です。
「止水」は、孔子の言葉「人は流水に鑑みること莫くして、止水に鑑みる。唯止まるもののみ能く衆衆の止まらんとするものを止む(人は流水を鏡として使うことはなく、静止した水を鏡とする。ただ不動の心を得た者のみ、心の安らぎを求める者に対して、それを与えることができる)」が原典になります。
「虚心坦懐」
「虚心坦懐」(きょしんたんかい)という言葉もありますね。心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしているという意味です。心にわだかまりがなく、平静に事に臨む、また、そうした様(さま)を表しています。
「虚心」は心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態であり、「坦懐」はわだかまりがなく、さっぱりとした心、平静な心境を表しています。
「ニーバーの祈り」
キリスト教社会で古くから口承されてきた「ニーバーの祈り」という有名な祈りがあります。それは、次のような内容です。
神よ、変えることのできないものを
受け入れる心の平静さをお与え下さい。
また、変えるべきものを変える勇気をお与え下さい。
そして、変えられないものと変えるべきものを
判断できる知恵をお与え下さい。
心の平静さと勇気と知恵、この言葉が凄く響きます。
波立つ心、さざ波から大きくうねるような波まで、何かというとザワザワと騒がしくなるのが心の中です。でも、自分が変えられるものと変えられないものを見きわめる知恵を身につけ、変えられないものにいたずらに心を乱されないようにしたいものです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.10.13記)