(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第671回です。
「疑心暗鬼を生ず」
「疑心暗鬼を生ず」とは、疑いの心をもって見ると、なんでもないことでも疑わしく見えてくるということの例えです。
心に疑いがあると、様々な不安や妄想を掻き立てられ、なんでもないことでも恐ろしく思えたり、疑わしく思えたりするものです。疑いの心をもっていると、暗闇の中にいるはずのない鬼の姿が見えたりするということからこう言われるようになりました。
中国,春秋時代の思想家・列子が著した『列子・説符』の注釈書に「諺に曰く『疑心暗鬼を生ず』と。心疑う所有れば、その人鉄を窃ずといえども、我疑心を以て之を視れば、則ち其の件皆疑うべし」とあるのに基づくそうです。
自分の視点が唯一無二ではないことを理解する
心のありようが、いるはずもない鬼の姿を見せたりするのと同様、同じ風景を見ても、心のありようによって見え方は異なります。気持ちが沈んでいるときに見る海は、深いブルーでもの悲しく見えるかもしれません。
でも、とても浮き立っているときに同じ海を見れば、深いブルーの中にキラキラと光るものを感じるでしょう。
同じ物事を見ても、自分の気持ち次第で視点は異なってきます。それは、他人の視点も同じです。2人しかいなくても、視点が3つも4つも異なることがあり得るのです。視点が変われば見える世界が変わってきます。
自分の視点に謙虚になる
同じ事象が複数の視点によって認識されることがあるという事実を知れば、人は自分の視点に謙虚になり、他人の視点に寛容になれるはずです。
自分と異なる視点だからというだけで、真実を見ていないわけではなく、自分と同じ言葉を使わないからというだけで、真実を語っていないわけではないのです。
いくつになっても自分の視点が唯一無二の正しいものだと錯覚しないよう、自分の視点の限界を常に自覚しておく必要があるでしょう。
そして、自分の視点に謙虚になれば、他のさまざまな視点を積極的に取り入れて総合的に判断するようになり、物事の本質に近づくことができるようになるはずです。
・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2021.2.17記)