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さて、『今日の一言メモ』第972回です。
「行雲流水」
「行雲流水」(こううんりゅうすい)とは、物事に執着せず、自然の成り行きに身を任せること、また、とどまることなく自然に移り変わって淀みがないことの例えです。
空を漂い行く雲も、とどまることなく流れる水も、自然の流れに逆らうことがないことからこう言われるようになりました。
空行く雲や流れる水の行方が定めないという意味から、諸国を行脚する僧(特に禅宗の僧)を指しているそうです。または、単に気ままな旅のことを指す場合もあるとか。
北宋の文豪蘇軾の次の言葉に基づいています。
「文を作るは行雲流水の如く、初めより定質無し。但常に当に行くべき所に行き、止まらざるべからざる所に止まる」
(文章を作るときは空を行く雲や流れる水のように、初めから決まった形があるのではない。行くべき所に行き、止まる所で止まるのだ)
時には大きな流れに身を任せることも必要
日々ただ流されているだけだな、と感じるような過ごし方は問題があるかもしれません。自らが舵を取って目指す方向に向かって進んでいくのが理想ですが、今の自分が置かれている環境が向かい風なのか、追い風なのか見きわめることも大事でしょう。
あえて向かい風に逆らって進んでいく場面もあるでしょう。でも、ずっとそうしていると疲れてしまって力尽きてしまうかもしれません。
そんなときは、あえて風向きに逆らわず積極的に身を任せてしまうのもあり、と思います。短いスパンで考えると、自分が進みたい方向と逆向きかもしれませんが、長い目でみたらどこかで風が反転して追い風になり目指す方向に進んでいけるかもしれません。
なので、あえて流される日々を意図的に作ってもいいと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.9.3記)