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さて、『今日の一言メモ』第1049回です。
「歳月人を待たず」
「歳月人を待たず」とは、時は人の都合などお構いなしに過ぎていき、とどまることがないものだ、という意味です。
時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれることなどない、ということから転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間を無駄にしないで、努力に励めよという戒めにもなっています。
陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず」(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)とあるのに基づくそうです。
「子晦日」 (こつごもり)
明日は大晦日です。「晦日」(みそか)とは、毎月の最終日のことを指します。そして、一年で最後の晦日、つまり最後の日を「大晦日(おおみそか、おおつごもり)」というのです。
また、大晦日の前日、すなわち今日12月30日を「小晦日」(こつごもり)といいます。(Wikipedia参照)
明日死んでもいいように今日を生きる
歳月人を待たず、とはよく言ったものです。歳月に待って貰えないまま、66回目の子晦日を迎えてしまいました。結構な回数ですよね。
そんな僕は、「余計なものを排し、自分に正直に生き、明日死んでもいいように今日を生きる」という行動指針を2020年の正月に定め、これまで過ごしてきました。(こちらの記事参照)
2022年を振り返れば、概ねこの思いに思いに沿って過ごすことができました。「余計なもの」とは、いわゆる大人の常識という名のルールや世間体、プライド、見栄といったものを指していますが、こうしたしがらみとは無縁の生活を送ることができたと思います。
「自分に正直に生き」という部分は、2020年以降は新型コロナウイルスによって行動に制約を受けたものの、自分を偽って生きることはしませんでした。
「明日死んでもいいように今日を生きる」という部分は、2020年の春先に志村けんさんや岡江久美子さんの死に接してより現実的なものと感じ、より一層その思いが深まりました。
今年も暮れが近くなって友人の訃報に続けざまに接して、コロナとは関係なくても死は突然なんの前触れもなく訪れることを痛切に感じました。常に明日死んでも、という思いを持ち続ける必要性を再認識したのです。
3年ぶりに行動制限のない年末年始ですが、年が明けてもWithコロナの時代は続きます。新たな変異株の出現がなく推移してきましたが、また感染爆発している中国からの観光客流入でどうなるか分かりません。
過剰に心配して萎縮する必要はないと思いますが、必要十分な感染対策はした方がいいでしょう。これからも完全に無防備な姿にならないよう注意したいと思います。
という姿勢を保ちながら、「余計なものを排し、自分に正直に生き、明日死んでもいいように今日を生きる」という行動指針は、2023年も引き続き持ち続けていこうと考えています。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.12.30記)