「今日は何の日?」シリーズ114回目です。
今から51年前の1963年11月22日に、テキサス州ダラスでパレード中のケネディ大統領が狙撃され、暗殺されるという事件が起きました。
アメリカの希望の星
暗殺されたジョン・F・ケネディは、43歳の若さで第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、絶大なる人気を誇っていました。
キューバ危機やベルリンの壁、米ソ宇宙開発競争など激動の時代に直面した「アメリカの希望の星」と言われる大統領だったのです。
ケネディ大統領が暗殺されたのは、1963年11月22日午後12時30分。翌年に大統領選を控え、テキサス州ダラスでの遊説に向かう途中のパレードでの悲劇でした。
ケネディ大統領とファーストレディのジャクリーン、テキサス州知事ジョン・コナリーと妻のネリー夫人の4人を乗せたオープンカーはダラスの空港からダウンタウンに向かっていました。
その途中、3発の銃弾がオープンカーを襲い、2発がケネディ大統領に命中。頭部に致命的な負傷を負ったケネディ大統領は、パークランド・メモリアル病院で息を引き取りました。ダラス到着後わずか1時間20分の出来事でした。
ケネディ大統領暗殺のニュースは、すぐに世界に衛星生中継されることになりました。
日米初の衛星中継はこのニュース
ケネディ大統領が狙撃された11月22日、日本のテレビ界では、翌日に控えた日米間初の衛星生中継番組の放送準備に追われていました。
通信衛星リレー第1号による日米共同実験放送は、11月23日に行なうと定められていました。ところが、23日午前4時ごろ、ケネディ暗殺の第一報が届くと、予定していた初の衛星放送番組を急遽中止し、ケネディ大統領暗殺の報道特番を現地アメリカから衛星生中継で放送することに切り替えました。
奇しくも、日米間初の衛生生中継番組がケネディ大統領の暗殺ニュースとなり、狙撃の瞬間の映像とニュース速報が日本全国に流れ、衝撃を与えたのです。
・・・日本は、翌年の東京オリンピック開催を控え、その準備で活気づいていました。まだ小学生だった富田も、いきなり飛び込んできた、大統領暗殺のニュースを伝えるテレビに釘付けになった記憶があります。
犯人とされたオズワルドは逮捕された2日後に刑務所で射殺されてしまい、事件の真相は闇の中に葬られました。未だに陰謀説がいくつも囁かれています。
しかし、にこやかに手を振っていた大統領が、一瞬後には命を絶たれている瞬間を映像で見ることになるとは思いもしませんでした。
大人になってから、このニュースに触れると、銃による暴力はあまりにも残酷で許されるものではないと思うようになりました。愛する夫を目の前で失ったファーストレディの心情はいかばかりかと思います。
銃社会のアメリカでは、いつ襲われるか分からないから、銃を持って自衛する、という考え方のようですが、それではいつまで経っても対処療法に過ぎないことになります。
人類の知恵と勇気、と言うと綺麗事になってしまうかもしれませんが、いつか銃や戦争がない世界が実現しないものか、と願う三連休初日の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2014.11.22記)