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さて、昨日は、人生に起死回生のウルトラCはないので、日々微差を心掛け、それを複利で積み上げれば、結果的に大きな差がつく、ということを書きました。
今日は、微差を心掛ける中で、片意地を張ってはいけない場面、意地を通すべき場面について書いてみます。
片意地を張れば、いつか心折れる
世に「木強ければ折れ易し」という言葉があります。立派な木に見えても、一定以上の暴風に晒されれば折れてしまいます。
逆に、柳の枝は、細くて頼りないですが、どんな強風にも逆らわずにいることで、決して折れません。ここから「柳に風と受け流す」という言葉が生まれました。
人間も、心を堅く閉ざしていると、人生という激流に翻弄されまいと片意地を張り、結局心折れてしまいます。
そうではなく、激流に翻弄されているように見えて、変な意地を張らず、巧みに受け流すことで、心折れることなく、しなやかにしたたかに生きていけるでしょう。
人から攻撃されたり、逆境に立たされた時に、真っ向から反撃したり、無理に立ち向かったりせず、うまく抵抗をかわしながら被害を最小限に留めることが有効な対処だと思います。
そして、相手の力をうまく前に進む動力に生かすことができれば、かえって相手のエネルギーを削ぐことになるでしょう。
何事も、一時の意地にこだわってはいけないでしょう。退却する時は、さっさと退却することを躊躇せず、無駄なエネルギーは使わないことです。
譲れない一線は、意地を通す
どこに譲れない一線をひくかは、なかなか難しいです。
例えば、組織の中で、明らかに法律違反な行為を強いられた場合、これは一線を越えていると明確に判断できます。
難しいのは、グレーゾーンの行為や、どこかの世界のように阿吽の呼吸で忖度を求められ、従わない場合は自分に不利益が降りかかってくる場合でしょうか。
その組織に属し、報酬を貰っている身であれば、おいそれと辞表をたたきつけて、組織を去り無職の身になるわけにはいかないでしょう。
結局は、将来振り返った時に、どちらが後悔が少ないか、だと思います。目の前に二つの道があったとしたら、どっちを選んでも将来それなりの悔いは残るはずです。
であれば、その時点で、より後悔が少ないであろうと判断した道を選ぶのが良いと思います。例え、将来後悔しても「ああ、あの時はこちらの方が後悔が少ないはず、と決意したのだった」と思い出し、その決意自体は後悔しないと思うからです。そして、そこが自分にとっての「一線」なのだと思います。
組織を辞める決意をし、ご家族がいるのであれば、どうして辞める決意をしたのか、その経緯をご家族に丁寧に説明することです。そうすれば、きっと分かってくれるはずです。
ということで、「後悔が少ないであろう道を選ぶ」という意地は通したいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2018.4.26記)