(画像出典元はこちら)
さて、ゴールデンウィーク2日目の今日は、「昭和の日」です。今から117年前、1901年(明治34年)のこの日に昭和天皇が誕生されたのです。
昭和天皇の時代
激動の時代に、天皇として生きられた昭和天皇は、第二次世界大戦で敗戦した時、戦争責任者として処刑されてもやむをえないような状況でした。
終戦が決まった1945年の9月、昭和天皇は時の占領軍GHQ総司令官マッカーサーに面会を申し込み、一人で赴かれました。
その会見時の写真は、当時新聞の一面に掲載され、それは日本の敗戦を国民に決定的に印象づけるものでした。
そして、この時にマッカーサーは、死を覚悟して会見に臨んだ昭和天皇の真摯な態度に打たれた、とその後の回想記に書いています。
その後マッカーサーは、アメリカ本国の意向に反して、象徴天皇として天皇制の存続に尽力したり、日本国民の衣食住の援助に力を注いだりしたそうです。
僕が生まれ育った昭和の時代
僕が生まれたのは、1956年 (昭和31年)です。戦後から立ち直りつつある「三丁目の夕日」の舞台になった東京で生まれました。
時は、神武景気に湧き、前年の保守合同で与党が自由民主党、野党が日本社会党という55年体制が確立し、国際連合に加盟した年になります。
手元に、某銀行から頂戴した年表があります。富田が生まれてから、平成に至る昭和の時代をちょっと年表で確認してみます。
富田が生まれてから多感な青春時代を過ごすまでは、ちょうど日本の高度成長期にあたります。
東京オリンピックといえば、今は2020年のことを思い浮かべますが、2020オリパラが決まるまでは1964年のことを指していました。
当時の池田勇人首相が、1960年に「所得倍増計画」を打ち出し、10年間で国民所得を倍増させるという計画を政策の目玉にしました。実際には、この計画を上回ったのです。
そして、大学に進学・卒業し、社会人となり、30才で結婚、昭和天皇が崩御されるまでは、激動の時代でした。
石油危機などのエネルギー問題の深刻化、そしてイラン・イラク戦争などの地域紛争問題が頻発します。
更に、1985年のプラザ合意以降、急激な円高が進行、輸出産業という外需に頼った経済の舵取りが、内需拡大へと大きく転換し、空前のバブル景気に向かいました。
昭和に形作られた「価値観」は今・・・
こうして自分が生まれ育った昭和の時代を振り返ると、高度成長期を経て日本が世界に冠たる経済大国になっていったことが、自分の「価値観」のベースになったことが明確に分かります。
当時は、とにかく企業戦士を育てることが、時代の要請だったと思います。
昭和世代であれば、「24時間戦えますか?」というリゲインのCMを覚えている方も多いことでしょう。
今、こんなCMを流したら「なんとブラックな!」と炎上必至でしょうね。
そして、そんな時代の中で、とにかくいい大学を出て、いい会社に入って、必死に働いて出世して高いお給料を貰う。それが当然の目標になりました。
昭和の時代は、ベースアップがない年など想像もできませんでした。
給料が上がるのは当たり前、ボーナスも増えていくのが当たり前、だから結婚して子どもを作って、住宅ローンを組んで、郊外に一軒家を買うことが当たり前の生き方でした。
しかし、昭和の終わりから平成にかけて、しばらく続いたバブル景気はアッという間に消え去り、失われた10年が20年になり、少し良くなった頃にリーマンショックが世界中を震撼させ、未曾有の不況に陥りました。
昭和の時代にいい会社の代表格だった証券会社や保険会社が次々と消えていきました。一時もてはやされたIT企業も、淘汰が進みました。
平成の時代も終わろうとしている
来年、2019年 (平成31年) 4月末に今の天皇陛下が退位され、5月から新たな年号がスタートします。
思えば平成に入って、瞬く間に普及したインターネットにより、大企業しかできなかった情報発信が、SNSやブログなどを通じて個人でもできるようになりました。
それを後押ししたのが、スマホやタブレットの普及です。今のような状況は、10年前、いや5年前にも想像できなかったと思います。それほどのスピードで進化しています。
今や大企業や中央官庁に就職するだけでなく、さまざまな可能性があることを、いち早く起業家として歩み出した先人達が示してくれています。
今から5年先、10年先にどんな世界が広がっているのか楽しみですね。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2018.4.29記)