(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第171回です。
「蓋棺事定」
「蓋棺事定 (がいかんじてい) 」とは、人間の本当の評価は、棺に蓋をしてから、すなわち亡くなってから初めて定まるという意味です。
生前の評価はいろいろな思惑があって正当ではないという意味にも使われます。
棺(カン) を蓋(おお) いて事(こと) 定(さだ) まる、とも読みます。
出典は、盛唐の詩人杜甫(とほ) の「君見ずや、蘇徯(そけい) に簡するの詩」だそうです。
亡くなってから評価が定まるのは?
「蓋棺事定」は、以前、石破茂 元自民党幹事長がブログに「蓋棺事定など」というタイトルで記事をアップしていて目にしたものです。(こちらの記事参照)
石破氏は、ブログ記事の中で、自身が若い頃に自民党の重鎮から「小手先で誤魔化すことなく、党そのものを変えよ」という厳しい言葉をかけられたので、自民党が危機に直面している今、「蓋棺事定」を胸に自分の果たすべき責任を果たしたい、と書いていました。
それは、「蓋棺事定」と思い定めれば、様々な罵詈雑言や誹謗中傷もあまり気にならなくなるように感じるからだそうです。
かつての宰相を思い出すと、国会で「バカヤロー」と発言したことがきっかけで衆議院を解散することになった吉田茂首相、退陣の記者会見で「新聞記者は出て行け、偏向している新聞は嫌いだ、私は直接国民に語りかけたいんだ」と言い、記者たちを追い出した佐藤栄作首相などが脳裏に浮かびます。
いずれにしても、首相在任中は新聞などのマスコミから随分叩かれたのでしょう。時の権力者に対しては、当然なのかもしれませんが…
それにしても、最近のマスコミ各社の報道を見ると、いかがなものかと首を傾げるような内容が多い気がします。こじれにこじれている日韓関係ですが、日本による対韓輸出規制に関して政府を非難するマスコミ報道を、韓国側が逆手に取り日本を非難する論拠にしています。
時の権力に対して常に牽制機能を果たすのは報道機関の責務とはいえ、行き過ぎた批判は国益を損なうのではないでしょうか。
話が逸れましたが、現在の政治家諸氏は亡くなってからどのような評価がされるのでしょうね。
終わりを思い描くことから始める
「終わりを思い描くことから始める」は、スティーブン・R・コヴィー著の「完訳 7つの習慣」に出てきた第2の習慣です。
「完訳 7つの習慣」には、将来自分の葬儀が行われた時に、参列者にどんな弔辞を読んでもらいたいか?という問いが出てきます。
もし、「人格者だった」「人望のある人だった」と言ってもらいたいなら、嘘のない生き方、表裏がない誠実な生き方を貫かないといけないでしょう。
「頑固に、自分の生き方を変えない人だった」と言われたら、褒め言葉にも逆の意味にもとれるでしょう。そう言われて本望だ、という信念があってもいいですよね。
そんな未来を思い描き、そこから現在に向けて線を引き、今日を、今この瞬間を生きていくのも良いかと思います。
・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2019.7.30記)