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さて、「今日の一言メモ」第360回です。
「鉄道ストの日」
今日2月24日は、「鉄道ストの日」だそうです。
今から122年前の1898年 (明治31年) に、日本鉄道会社の機関士ら400人により日本初の鉄道ストライキが12日間にわたり行われ、労働者側が勝利しました。その間、上野-青森間の列車が運休するなど混乱しました。
日本では、公務員のストライキについて制限されています。また、大手私鉄は1990年代に入るまでは、毎年春にストが行われて電車が止まることも多かったと記憶してます。
近年では、労働組合の地位低下や労働争議としてのストライキの有効性が減じてきたせいか、とんと聞かなくなりましたね。
ストライキは、日本語で「同盟罷業」(どうめいひぎょう) と言い、普通は「スト」と略されます。
いわゆるストは、労働者側が雇用者側に労働条件の改善などを求めて、労働を行わないことで要求を通そうとする実力行為といえます。
他者からの要求は、形を変えたストライキかも
ストは「働かない」ことで要求を通そうとする行為ですが、他者からは「認めない、評価しない」ということで要求を通そうとするプレッシャーを感じることがあります。まるで、認めたり評価することをストで回避するように。
人には「承認欲求」が本能的に備わっています。なので、人から認められるように、評価されるように、どうしても行動しがちです。
考えてみると、他者の望みをかなえるように生きること、それは非常に不自由な生き方です。なぜそんな生き方を選ぶのでしょうか。承認欲求というのは、要するに誰からも嫌われたくないという欲求です。
しかし、周囲に10人の人がいて、全員の期待に応えようとしても、そんなことをずっと続けることは無理です。
他者の期待を満たすように生きること、自分の人生を他人任せにすることは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方と言えます。
嫌われることを恐れず、自由に生きる
他者から嫌われたくないと思うのは自然な欲求であり、衝動です。しかし、こうした欲望や衝動におもむくまま生きる姿を「自由」と表現できません。
ほんとうの自由とは、こうした欲望や衝動に従って坂道を転がり落ちる石になることではなく、転がる自分を下から押し上げていくような態度のことでしょう。
自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして、対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることです。
人間長く生きてくると、面の皮も分厚くなってくるので、自分の嫌なことは嫌と言えるようになってきます。それで、相手から嫌われても仕方がないと割り切っているからです。
何せ残りの人生は、刻一刻と短くなってくるので、他人の要求を忖度するような時間は、とっても勿体ないのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.2.24記)