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さて、「今日の一言メモ」第491回です。
「刎頸の交わり」
刎頸(ふんけい)の交わりとは、きわめて親密な付き合いの例えです。その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの、親しい交わりを意味しています。
春秋時代、趙の将軍廉頗は、功績により自分より上位になった名臣藺相如を恨みます。しかし、相如は二人が争いにより共倒れになることを懸念し、国のために争いを避けるつもりでいました。それを聞いた廉頗は自分の考えを恥じ、深く反省し、相如へ詫びに出かけて刎頸の交わりを結んだという故事によるものです。
廉頗と藺相如が固い友情を結ぶまでには紆余曲折があり、素晴らしい友というのは一朝一夕で得られるものではないということも表しています。「刎頚」とは、首をはねることを意味しています。
自分の生涯を振り返るときに、必ず友の大切さを思う
刎頸の交わりといえるほどの友人を持つことは難しいでしょう。でも、その友人のためなら、命を投げ出してもいいと思えるほどではないとしても、何か窮地に陥ったら万難を排して手を差し伸べたいと思える友はいます。
「終わりを思い描くことから始める」という言葉があります。これは、スティーブン・R・コヴィー著の「完訳 7つの習慣」に出てきた第2の習慣です。
「完訳 7つの習慣」には、将来自分の葬儀が行われた時に、参列者にどんな弔辞を読んでもらいたいか?という問いが出てきます。
もし、「人格者だった」「人望のある人だった」と言ってもらいたいなら、嘘のない生き方、表裏がない誠実な生き方を貫かないといけないでしょう。
「頑固に、自分の生き方を変えない人だった」と言われたら、褒め言葉にも逆の意味にもとれるでしょう。そう言われて本望だ、という信念があってもいいですよね。
「友人を大切にする人だった」と言ってもらえたら、本当に嬉しいですよね。そして、それまでの自分が存在できたのは、親をはじめとした家族、そして友人の存在がきわめて大きかったことに改めて気づくはずです。
そんな未来を思い描き、そこから現在に向けて線を引き、これからもずっと友を大切にしていきたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.7.30記)