Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

【今日の一言メモ】・・・明日死んでもいいように、引続き今日という日を大切に生きていく

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(画像出典元はこちら

さて、「今日の一言メモ」第562回です。

「無常の風は時を選ばず」

「無常の風は時を選ばず」とは、満開の桜の花が不意に吹き出した強風によって散らされるように、人間も老若などには関係なく、いつ死ぬかわからないということです。人の命のはかなさをいった言葉になります。

仏教では、「すべてのものは常が無く続かないもの」であると、諸行無常(しょぎょうむじょう)を説いています。最大の無常は自らの命。ですから、死のことを「無常」と表しています。

そして、死というのは目には見えないものです。それはちょうど風のようなもので、気づかぬうちに近くに来て、気づいた時にはあっという間に命を奪っていきます。それで、死のことを「無常の風」とも表現しているのです。

来ると思っている明日は来ないかもしれない

親鸞聖人が出家を願い出たときに詠んだのが、次の歌です。

「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

明日もきっと見られるだろうと思っていた桜は、嵐によって夜のうちにすべて散ってしまっていた。明日も生きていられるという保証が一体どこにあるというのだろう。

桜の花は儚いものの代表となっていますが、それよりも儚いと言われるのが人の命です。自分たちは明日どころか、来週も、来月も、来年も、そのずっと先も存在しているのが当然と思って生きています。

しかし、自分が思っているより、人生はずっと短いものなのかもしれません。

明日死んでもいいように、今日を生きる

今年(2020年)の正月のブログ記事で、今年の行動指針を次のように定めました。

「余計なものを排し、自分に正直に生き、明日死んでもいいように今日を生きること」

余計なものとは、いわゆる常識という名のルールや世間体、プライド、見栄といったものです。こうした余計なものを排して生きていくことを宣言したのです。

そして、歳を重ねてくると身近な存在の人たちの死に接する機会も多くなります。諸行無常を感じるわけですが、それで今日という日を大切に生きる、例え明日死んでもいいように、といつも心掛けるようになったのです。

今年もあと70日余りとなり、仕上げの時期を迎えていますが、引続き今日という日を大切に生きていきたいと思います。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!

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(2020.10.19記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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