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さて、「今日の一言メモ」第582回です。
「三流は逆境に弱音を吐き、一流は逆境に可能性を語る」
小物は、逆境に直面したとき、こんな言葉が決まり文句です。
「できないかもしれない」
「自分には無理だ」
「できなかったらどうしよう」
実際に行動をしてからならまだ理解できますが、これでは行動する前から挫折をしています。行動する前から弱音を吐いているのでは、結果は見えています。精神状態が弱っているのでは、体も動くはずがありません。
無理だと思えるような状況でも、1つでも可能性を見い出して、挑戦できるのが大物です。一流プレーヤーは可能性がなくても、絶対に弱音を吐きません。オリンピックに出場する選手の意気込みを聞くと、必ず力強い言葉が返ってきます。
たとえ逆境に直面していたとしても、弱音ではなく、可能性を語ります。
「できる方法があるはずです」
「絶対に諦めません」
「試合はまだ終わっていません」
その人の力強い精神状態が見えているようです。粘り強い発言をしていると、心には強いバネがあるように感じられます。大物は、どんなときも弱音を吐きません。諦めたら、それで最後だということをよく知っているからです。
高倉健さんが亡くなって6年
昨日(11月10日)は、6年前に亡くなられた高倉健さんのご命日でした。最期は、悪性リンパ腫を患い、83歳の生涯を閉じたのでした。
日本男児の鑑ともいうべき方だったと思います。そして、高倉健さんが死の直前に書かれた手記にある座右の銘を、折に触れ思い出しています。
死の4日前に完成させた手記が、月刊誌「文芸春秋」に掲載されたのですが、これは同誌が戦後70年企画として、自身の戦後と映画人生を振り返る原稿を依頼したものだったそうです。(こちらの記事参照)
その手記の最期には、自身の歩みを
「出逢った方々からの想いに応えようと、ひたすらにもがき続けてきた」
と記してあり、交流のあった比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏から贈られたという
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
という言葉で締め括られています。
締め括りの言葉について。
行く道は精進にして
辛いことがあっても、それは精進である。
自分を高めるために必要なことなのだ。
忍びて終わり、悔いなし
それを我慢したまま、たとえそれで終わることがあっても、自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない。
という意味です。
以前、登山が趣味の友人が次のように語っていました。
「登山は、山頂を目指すものだけど、それだけが登山じゃない。どこに登るか計画し、装備を整え、スケジュールを立てて、そして登り出す。途中で出会う景色、登山者、いろんなもろもろを含めて登山なんだ。途中で天候が急変して、危険だと判断して下山しても、それはそれで登山だと思う。」
なるほど…と思いました。
それは、ゴールに辿り着くことを目標に置くのではなく、ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くすことを目標にする、という意味だと感じました。
そして、高倉健さんの言葉を思えば、明日息絶えたとしても、今日まで悔いを残さず生きてきたか、と自問してしまいます。
自分の努力不足を棚に上げ、回りのせいにしていないか、ちょっとうまくいかなかったから、すぐに諦めたりしていないか・・・
一流は、無理だと思えるような状況でも可能性を探し、勝機を見出し、果敢に勝負します。
自分が三流に墜ちるのか、一流の仲間入りするのか、逆境に出会った時に試されると覚悟しておく必要があるでしょう。
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さて、今日はここまでにしますね。
では、また!
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(2020.11.11記)