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さて、「今日の一言メモ」第633回です。
「疾風に勁草を知る」
「疾風に勁草を知る」(しっぷうにけいそうをしる)とは、困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかることの例えです。
「疾風」とは、速く激しく吹く風、「勁草」とは、風雪に耐える強い草を表しています。
強い風が吹いたときに初めて、それに負けない強い草を見分けることができることからこう表現されています。
中国の歴史書である『後漢書・王覇伝』に、「子独り留まりて努力す、疾風に勁草を知る」とあるのに基づきます。
後漢の光武帝が初めて義兵を挙げたとき、旗色が悪くなってくると帝に従っていた者たちは逃亡していき、最後まで残ったのは王覇だけであった。そのときに帝が王覇に言った言葉です。
風見鶏にならない強さを持つ
「風見鶏」(かざみどり)という、鶏をかたどった風向計がありますね。主にヨーロッパの教会堂や住宅の屋根の上に取り付けられています。また、定見をもたず、周囲の状況を眺めて、都合のよい側にばかりつく人のことを指す言葉でもあります。
なんでも順風満帆にうまくいっている時はともかく、困難や試練に直面した時に一本筋の通ったブレない強さを持っていないと、その時の風向きに合わせてクルクルと姿勢が変わる風見鶏になってしまい翻弄されてしまいます。
今のコロナ禍という前代未聞の困難に直面して、経済対策とコロナ対策という相反する対応を迫られている政府は、まさに正解のない舵取りを迫られています。その対応の是非は歴史の判定を待たなければならないかもしれませんが、一本筋の通ったブレない姿勢とは違うように見受けられます。
右へ進んでも左へ進んでも批判されることは必定なので、毅然とした姿勢を示し結果については全責任をとる、という潔さが必要ではないでしょうか。そうすれば国民の多くはついていくと思うのですが……。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2021.1.6記)