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さて、『今日の一言メモ』第938回です。
「成らぬ堪忍するが堪忍」
「成らぬ堪忍するが堪忍」とは、どうしても我慢できないことを我慢するのが、本当の意味での忍耐であるという意味です。
もう我慢ならぬというところをじっと我慢することこそが、本当の我慢であり、最後まで耐え通さなければ、それまでの我慢も無駄になるという教えでもあります。
同様のことわざに、「韓信の股くぐり」があります。
「韓信」とは、漢の天下統一に功績のあった名将です。韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られましたが、韓信は大志を抱く身であったから、ごろつきと争うことを避けました。
言われるまま彼の股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたのですが、その後韓信は大成し、天下統一のために活躍したという故事からことわざになりました。
将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒めです。
「堪忍」を貫き通す機会は、一生のうちに訪れるか
「堪忍」という言葉を聞いて、以前電通に入社した年に自殺した女性社員を思い浮かべました。事の真相は、本人と周囲の人しか分からないですが、彼女に対して「堪忍」が足りぬ、という意見を持つ人が当時いました。
果たしてそうでしょうか?
かつて、長時間労働を強いられて、鬱病に陥った方の話を聞いたことがあります。そのお話では、追い詰められた時はちゃんとできない自分を責める気持ちが一杯で、そこから逃げることは自分を全否定することであり、とても選択することはできない、という気持ちになったそうです。
その結果、最後は自分自身で自分の命を絶つ、という選択をするのは、あまりにも可哀想です。我慢を貫き通して自殺するようなことはあってはならないと思います。よしんば、我慢を貫き通すとしても、それは命あってのことでしょう。
もしも自分の命を絶つことまで思い詰めている人がいたとしたら、その選択をする前にそこから逃げてもいいんだよ、と説得したいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.7.15記)