前回は、社会人版キムゼミ合宿に参加して得た気付きの一つをご紹介しました。
今回は、あの東日本大震災から今日で満3年という日に合わせて、合宿で思いを新たにした点について書きたいと思います。
3年前のあの日、あの時
富田はまだ以前勤務していた会社の会議室にいました。確か5〜6人で会議をしていました。
そこにあの揺れが・・・暫くすると一層揺れが強くなり、開けておいた会議室のドアがバタンと自然に閉まってしまいました。
これでドアが開かなくなるとマズイと思い、立ってドアの所に歩こうとしても揺れのせいでうまく歩けません。ストッパーの付いているキャスター付きの会議室テーブルが会議室の床を滑り出します。
なんとかテーブルを押さえているうちに揺れが収まりました。これは大変なことになるな、と直感的に思いましたが、すぐに照明が消えて停電したことに気付きます。
それからは固定電話も携帯電話も繋がらず、電車も全てが止まった中で、会議室で夜を明かす支度をしていました。夜も大分更けた頃、インターネットラジオで、通勤に使っている路線が夜中に運転を再開するというニュースが飛び込んできました。
通常は1時間足らずの帰路を2時間近くかけて、停電している自宅マンションに帰り着きました。6階まで階段を上がり、それから震災後の生活が始まったわけです。
あれから3年経って思うこと
被災地の方々に比べれば、なんでもない程度の大変さでした。それでも、家族と数時間連絡が取れず安否を気遣っている間は、本当に心配で心配で堪りませんでした。実際に被災された方々の、それとは比較にならない程大きい心痛は想像を絶するものがあります。
富田が、日頃「記憶はアナログ」と考えて使っている「ほぼ日手帳」には毎日のページの下部に、「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンテンツの中から選ばれた言葉が紹介されています。
昨日のページで紹介された言葉は次の通りです。
被災された方が、復旧復興を願って綴った言葉なのでしょうか。「いちばん忘れちゃいけないのは、幸せだったはずの前の日」という言葉が胸に刺さります。
過ぎ去った過去に続く未来を想定できること。何でもない日常の中で、その未来のために、あれこれと思い悩んだり、苦しんだり、愚痴や不平不満を言ったりできることが、どれだけ幸せなことなんだろう、と痛感します。
「3.11」という日を、あの大震災を思い起こし、亡くなられた方々、大切な人を亡くした方々に思いを寄せる「記念日」扱いしてはいけないのだと思います。
被災を免れた我々は、被災地の復旧復興に向けた支援を弛まず続けることは勿論ですが、毎日毎日朝起きれば無事に目覚めたことに感謝の念を抱き、夜休む時はまた平穏な一日を終えることができたことに感謝する日々を過ごしていくことが肝要ですね。
というわけで、 “いまこの瞬間” に感謝の気持ちを抱きながら生きる毎日にしていくことが大事だと、改めて思いを新たにした次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。この合宿で得た気付きを、次回以降も引き続きご紹介したいと考えています。
ではまた!(^_^)
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(2014.3.11記)