Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

あの日航機墜落事故から29年・・・8月12日は鎮魂の日

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10 JAL123便

「今日は何の日?」シリーズ第43弾です。今年も、広島・長崎の原爆の日に続いて、慰霊の祈りを捧げる日が来ました。

今から29年前、1985年 (昭和60年) 8月12日の月曜日18時56分に、東京 (羽田) 発大阪 (伊丹) 行JAL123便ボーイング747 (ジャンボジェット) が、群馬県の高天原山の尾根 (通称「御巣鷹の尾根」) に墜落しました。

乗客乗員のうち、奇跡的に命が助かった4名を除く520名が亡くなるという、航空機史上最悪の事故となりました。

墜落の経緯

事故当日、定刻をやや遅れて18時04分に、乗客乗員524人を乗せたJAL123便は羽田空港18番スポットを離れ、18時12分に離陸しました。

18時24分 (離陸から12分後)、相模湾上空を巡航高度に向け上昇中、緊急事態が発生します。

突然の衝撃音と共に、123便の垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して吹き飛ばされ、その際に油圧系統全てに損傷が及んだ結果、油圧を使用した昇降舵や補助翼の操舵が全くできなくなります。

40 失った尾翼

機体の制御を失う中、クルーの必死な操縦により、17分間は高度6,000m以上で飛行を続けます。

空気抵抗を利用する降下手段としてランディング・ギア (車輪などの降着装置) を電気系統の操作で降ろした後、富士山東麓を北上し、山梨県大月市上空で右旋回をしながら急激な降下に見舞われます。

その後、機体は羽田空港に引き返すべく、左へ旋回しますが、制御できず群馬県南西部の山岳地帯へと向かい出したのです。

15 飛行経路

クルーの努力も空しくJAL123便は降下し続け、18時56分14秒に対地接近警報装置が作動。18時56分23秒、右主翼と機体後部が樹木と接触します。

接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に傾いた結果、右主翼が地面をえぐり、同時に垂直・水平尾翼、右主翼の脱落が始まりました。

その後、機体後部が分離。機体は機首を下げながら右側に回転してゆき、18時56分30秒、高天原山の斜面に前のめりに反転するように衝突、墜落したのです。

20 墜落地点

18時56分28秒まで録音され続けていたボイスレコーダーには、23秒と26秒頃に衝撃音が残されていました。23秒の衝撃音の直前には、機長の「あーダメだ!」もしくは「もうダメだ!」とも聞き取れる叫び声も記録されていました。

墜落時の衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほどバラバラになったほか、両主翼ももぎとられ炎上しました。

一方、墜落時に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していきました。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速したのです。

このため衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して損傷が少なく、火災も発生しませんでした。こうした要因によって、客室後部の座席に座っていた女性4名は奇蹟的に生還できたようです。ただ、その他の方達は即死もしくはそれに近い状況であったとその後の調査で判明しました。

墜落の原因

運輸省航空事故調査委員会は、事故発生後の8月14日に墜落現場に入り、本格的な調査を開始しました。

調査には事故機の製造国であるアメリカから、国家運輸安全委員会 (NTSB) の事故調査官らが顧問として加わりました。

そして、事故から約1ヵ月後の9月6日、事故機の製造者であるボーイング社が声明を発表し、以前起きたしりもち事故の際に、自らが行った圧力隔壁の修理にミスがあったことを認めたのです。

30 後部隔壁

1987年6月19日、事故調査委員会は事故調査報告書を公表し、本事故の推定原因を発表しました。その要旨は以下のとおりです。

  1. 事故機の後部圧力隔壁が損壊し、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。さらに、4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こった。
  2. 圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定される。
  3. この亀裂の発生は、1978年に起きた同機の「しりもち事故」の際に、米国ボーイング社による修理が不適切なもの(修理交換した隔壁の下半分と上半分との接続強度が不足した状態)であったことに起因する。また、点検でこれらの異常を発見できなかったことも事故原因に関与したと思われる。

亡くなられた方々やご遺族の無念を思う

社会派作家・山崎豊子氏による「沈まぬ太陽」はお読みになりましたか?

日航機墜落事故をモデルとして、航空会社に勤務する社員と彼を取り巻く人々の描写を通して、人の生命にかかわる航空会社の社会倫理を表現した作品です。

初めて読んだ時は、その重厚な作風と内容に圧倒されたことを覚えています。まだお読みでなければ、これを機に書籍を手に取ることをお薦めします。今ならKindleでも読めます。

また、渡辺謙主演で映画化もされています。

あの日、富田は以前勤務していた会社の大阪支店にいました。当時の大阪支店長が、東京での会議が長引き、本来乗るはずだったJAL123便に乗り遅れる、という事態が起きたので、鮮明に覚えています。

生と死を分けた出来事、それは紙一重のことだったのでしょう。墜落機の後部座席にいたため助かった女性4名も、かすかな可能性に救われた奇跡です。

そんな奇跡を考えながらも、亡くなられた520名の方々、そしてそのご遺族・ご友人の悲しみと無念さを思い、慰霊の祈りを捧げる朝なのでした。

 御巣鷹山の慰霊碑


御巣鷹山の慰霊碑

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

 
 
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(2014.8.12記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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