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11月6日は、1945年に日本の財閥解体が決まった日

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さて、「今日は何の日?」シリーズ102回目です。今日は、戦後史を紐解いてみます。

日本が第二次世界大戦に敗戦した、今から69年前の1945年11月6日に、三井、三菱、住友、安田の四大財閥を解体するという政府案を、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が承認し、その後持株会社解体令がだされました。

当時の財閥とは

現在でも、四大財閥の流れを組む、三井、三菱などの巨大企業グループは存在し、旧財閥系という呼び方をしますね。

この四大財閥に、GHQによる財閥解体指令を受けた11財閥を加えたものを、特に十五大財閥と呼びます。

・ 三菱財閥(創業者: 岩崎弥太郎)
・ 住友財閥(創業者: 住友政友)
・ 三井財閥(創業者: 三井高利)
・ 鮎川財閥(創業者: 鮎川義介)
・ 浅野財閥(創業者: 浅野総一郎)
・ 古河財閥(創業者: 古河市兵衛)
・ 安田財閥(創業者: 安田善次郎)
・ 大倉財閥(創業者: 大倉喜八郎)
・ 中島財閥(創業者: 中島知久平)
・ 野村財閥(創業者: 野村徳七)

GHQは、以上を10大財閥と指定しました。

・ 渋沢財閥(創業者: 渋沢栄一)
・ 神戸川崎財閥(創業者: 川崎正蔵)
・ 理研コンツェルン(創業者: 大河内正敏)
・ 日窒コンツェルン(創業者: 野口遵)
・ 日曹コンツェルン(創業者: 中野友禮)

GHQは、以上を15大財閥と指定しました。

いずれも戦前に財を成した錚々たる顔ぶれと言えます。

以下は、三井・三菱持ち株会社の産業支配網です。

(クリックで拡大)

(クリックで拡大)

財閥解体とは

財閥解体とは、1945年より1952年にかけて行われたGHQの占領政策の1つです。

「侵略戦争遂行の経済的基盤」になった財閥を解体して、第二次世界大戦以前の日本の経済体制を壊滅させることが目的でした。いわゆる経済民主化政策です。

当時GHQのエコノミストとして、財閥解体政策に精力的に取り組んできた著者による書籍が翻訳されています。

GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーは、総司令官が財閥解体に関する日本政府案を修正し、また実施に際して監督・検閲権を留保する事を条件に、11月6日に日本政府案を承認しました。

これを受け日本政府は11月23日、勅令第657号「会社ノ解散ノ制限等ノ件」を公布し、この勅令をもって財閥解体が始まったのです。

次の画像は、財閥家族の株券を差し押さえている様子です。

10 財閥家族の株券差押

その後・・・

こうして財閥は解体されましたが、その後、それぞれの財閥の流れを汲む企業の大部分は再結集を果たし、大規模な企業グループを形成しました。

また、1997年には独占禁止法の改正によって純粋持株会社の設立が解禁され、事実上の財閥復活許可が出されたのです。

しかし、実際には三井住友銀行の誕生などに代表されるように、グループを越えた企業同士の合併や交流なども頻繁に行われています。

こうした流れによって、旧財閥系企業グループの求心力は次第に弱まりつつあるのでしょう。

いずれにせよ、これら旧財閥系の企業グループは、メガバンクと呼ばれる大規模な都市銀行をいずれも擁し、その三大メガバンクの下に集約されることになったのです。

・・・というわけで、戦前から戦後、そして現在に至るまで財閥グループの存在は、日本経済に大きな影響を与えてきたわけです。

富田が以前勤めていた会社は三井系でしたが、仕事を通じてそれぞれの企業グループの風土や文化の違いを感じてきました。

定年制度や家族的経営など、古き良き日本的経営をリードしてきた面もあり、その果たしてきた役割は大きいと思います。

これからも企業グループの枠にとらわれず、それでも良き伝統を活かして、日本経済に貢献してもらいたいと感じた雨模様の朝なのでした。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2014.11.6記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

コメント

人生のセカンドステージを、ポジティブ&アクティブに過ごすことを目指して、アラカン(アカウンド還暦)世代の筆者が思いを綴るブログ。
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