「今日は何の日?」シリーズ第95弾です。
今から27年前、1987年10月19日にニューヨーク株式市場が大暴落し、株式暴落が世界中に広がりました。
ブラックマンデーとは
1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落となり、この日は暗黒の月曜日とも言われました。
ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー、下落率12.8%)を遙かに上回ったのです。
翌日、アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安 (14.90%↓) の21,910.08円と過去最大の暴落を起こしました。更にこの連鎖は、ヨーロッパの各市場へも広がっていきました。
しかし、このときの証券市場の激震は、その後の金融当局による適切な対応の結果、実体経済へ甚大な被害をもたらすことはありませんでした。
日経平均株価については翌日2,037.32円高 (9.30%↑) となり、これは上昇幅で当時の歴代1位、上昇率で当時歴代2位の記録だったのです。
株式暴落の背景
当時は、アメリカの貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいました。また、1985年のプラザ合意後のドル安打開のためにドルの金利が引き上げられるという観測が広がっていたことが要因として挙げられています。
また、この時代は高度な金融工学が登場し、コンピュータの普及と相まって、オプション市場や先物市場などの金融取引は爆発的な成長を見せていました。
金融工学の発達とコンピュータの普及により、株式取引も先鋭化複雑化していきます。
いわゆる先物取引と呼ばれるリスクヘッジ手段が一般化し、持ち株の価値が市場価格を大きく上回っているときには先物売りを少なく、市場が下落しだすと売りを増やす仕組みがコンピュータ取引に組み込まれていきました。
こうして損失と先物売りの利益がほぼ同じになるようにプログラミングされた結果、市場が下落し始めるとコンピュータが自動的に売り注文を出すようになり、瞬時に売りが売りを呼ぶ展開となってしまいます。そして当然の結果として、あっという間に大暴落となってしまったのです。
1970年代から1980年代にかけて、株式は割安に放置され続けていました。そして、1980年代、インフレ抑制に成功した世界では名目の利益水準が相当膨らみ、その潤沢な流動性が世界中の割安な株式市場に流入していきました。しかし、行き過ぎた活況は、金融引き締め観測により終わりを告げたのです。
こうした中、金融緩和を続けた日本では、日経平均株価が半年後の1988年4月には下落分を回復。すでに1986年頃に始まっていたバブル景気は更なる膨張を続け、1989年12月29日には史上最高値 (38,915.89円) をつけることになりますが、それがその後のバブル崩壊に繋がっていきました。
・・・というわけで、一体世界経済はどうなっちゃうのか、と思う大混乱が起きたわけですが、過ぎ去ってしまえば一過性の調整期間に過ぎなかったわけです。
深刻度から言えば、2008年9月のリーマン・ショックの方が、その後の世界的金融危機の度合いは高かったと思います。
今後、何が起きるか見当もつきませんが、リスクのある投資は一定範囲に収める必要があることを、改めて肝に銘じた休日の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2014.10.19記)