Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

10月31日は、1989年のバブル絶頂期に、三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを買収した日

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「今日は何の日?」シリーズ第99弾をお届けします。

今から25年前の1989年10月31日、毎年クリスマスツリーが飾られるとニュースになる、あのニューヨークのロックフェラー・センターを、三菱地所が約2,200億円で買収しました。

10 ロックフェラーセンター

バブル景気の絶頂期は、日本企業が国外不動産を買い漁りましたが、その象徴となった出来事でした。

バブル景気とは

富田はバブル景気の時代を生々しく経験しましたが、今や好景気の時代を経験していない世代が圧倒的に増えてきました。

ここで、その当時を振り返ってみましょう。

日本のバブル景気の期間は、1986年12月〜1991年2月までの4年3か月 (51か月) 間を指します。この期間は、株式や不動産を中心にした資産が過度に高騰し、経済が膨張しました。

1980年代後半になると、皇居の土地価格でアメリカのカリフォルニア州全部が買えるとか、東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるほど、日本の土地価格は高騰しました。

当時、それを聞いたアメリカ人が「クレイジー!」と叫んだそうですが、日本人は誰も異常だと感じていなかったのです。

日経平均株価は、1989年 (平成元年) 12月29日の大納会には、史上最高値38,957円44銭を付け、資産価格のバブル化が起こっていました。

「ジュリアナ東京」で、ワンレン・ボディコンの女性達が、お立ち台で踊っていた光景も、バブル景気の一つの象徴でしたね。

20 ボディコンギャル

バブルは、なぜ生まれ、なぜはじけたのか

バブル景気が到来する前、1985年9月に行われた5カ国蔵相会議 (5G) で、ドル高是正のための合意がされました。この「プラザ合意」が、日本のバブル経済のスタートでした。

プラザ合意前後のドル/円為替レートの動きです。大幅な円高になっていますね。

30 為替推移

プラザ合意直後の日本は、円高不況と称された深刻な不況に陥り、輸出産業が大打撃を受け、東京や大阪などの町工場には倒産が続出しました。

当時の日本のGDPに占める製造業比率は高く、円高が輸出産業、ひいては日本経済に与えたダメージは現在と比較にならないほど大きく、製造業の日本国外への流出もこの時期に本格化しました。

不況に陥った日本が景気対策としてとったのは、内需拡大策として金利を思いきって下げるという金融政策でした。

日本銀行は公定歩合を5回にわたって引き下げ、プラザ合意がされた1985年に5%だった金利は、2年後の1987年には2.5%という戦後最低の数字になりました。

本来は、企業がお金を借りやすくして、工場を建てたり新事業に投資することを促す金融政策でしたが、企業は借りた資金を土地や株式などに投資する、いわゆる「財テク」に走りました。

当時、国土の狭い日本では土地は将来必ず値上がりするという「土地神話」もあり、財テクをしない企業の経営者は無能呼ばわりされたものです。

銀行も、土地の担保があれば、喜んでお金を貸したので、ますます財テク花盛りになりました。こうして、経済の実態とはかけ離れた動きが加速し、バブルは膨張します。

この異常事態を是正するために、当時の大蔵省と日銀が「総需要抑制策」を押し進めました。具体的には、行政傘下にある金融機関に「投機資金貸し出し禁止」を強制したのです。

資金源を断たれた土地や株が下がるのは当然のことで、こうして一気にバブルははじけました。

バブル崩壊と同時に、1973年より続いてきた安定成長期は終焉を迎え、その後20年以上に亘り長期不況 (失われた20年) が続くことになります。

・・・というわけで、バブル景気を振り返ってみました。

当時、富田は以前勤めていた会社の人事部にいて、新卒の採用を担当していました。バブル真っ盛りですから、企業の採用意欲も高く、完全に売り手市場でした。

一流大学の履歴書を持って行けば、即座に内定が貰えたりと今では考えられない異常さ、過熱ぶりでした。

また内定者を他社にとられないように、3Sと呼ばれる「ステーキ・しゃぶしゃぶ・寿司」をご馳走して接待責めにすることも、大企業中心に当たり前のように行われていました。

内定者合宿と称して、ホテルやリゾート地に学生を缶詰にする拘束行事も頻繁にありましたね。

これだけチヤホヤされると、学生も勘違いします。入社前と入社してからのギャップは当然あったわけで、入社早々退職してしまう、いわゆる「第二新卒」という言葉もこの頃生まれました。

バブル絶頂期にアメリカ人が「クレイジー!」と叫んだ通り、まさしく狂気の世界がそこにあったのです。

今後はこんなことは起こらないと信じたいですが、もしも常識的に考えて変だな、と思う事態が起こったら、周囲に流されることなく冷静に判断して対処していきたいと思う金曜日の朝なのでした。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2014.10.31記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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