さて、「今日は何の日?」シリーズ第124回をお送りします。
今から32年前の1982年12月6日に、東京地方裁判所が「コンピュータのプログラムは著作物に該当する」という初の判断を下しました。
著作権法で守られる権利
広くパソコンが普及し、一般企業で使われるようになり始めた頃に、ワープロや表計算ソフトを1つ購入し、多くのパソコンにインストールする、いわゆる違法コピーが横行した時期がありました。
現在では、ソフトウェア (OSやアプリケーションなどのプログラム) に著作権があることは、一般に広く知られていることと思います。
しかし、コンピュータの普及が始まった1980年代初頭は、まだまだ法整備がされていなかったのです。
デジタルコピーは質が劣化することなく、簡単に行えるので罪の意識が低くなりがちですが、きちんと対価を支払うことが、健全なソフト産業の発展には必要なことですし、人の行為として当たり前のことです。
ソフトは、違法コピーすることなく、きちんと購入して正々堂々と使いましょう。
では、折角の機会なので、時を遡り司法判断が下った頃の様子を見てみることにします。
プログラムは著作物
1982年の裁判について、「著作権審議会第6小委員会 (コンピュータ・ソフトウェア関係) 中間報告 (昭和59年1月、文化庁)」では、以下のように記載していました。
プログラムを開発するためには、多額の資金と多くの人間の長期にわたる努力が必要であるのに対し、そのコピーは簡単にできるため、例えばビデオゲームなどのプログラムの無断コピーが最近横行し、ソフトウェアに関する係争事件が増大している。
このような状況の中で、プログラムの著作物性を認める判決が昭和57年12月6日に東京地方裁判所で初めて出された。
この事件は、ビデオゲーム機のROM(Read Only Memory:読出し専用固定記憶装置)に収められたプログラムの無断複製に関するもので、東京地方裁判所は以下を判示した。
- プログラムは学術の著作物であること
- オブジェクト・プログラムはソース・プログラムの複製物であり、オブジェクト・プログラムを他のROMに収納する行為は、ソース・プログラムの複製に当たること
もともとはアメリカの施策
1980年にアメリカは著作権法を改正して,コンピュータ・プログラム (以下「プログラム」) を著作物に加えました。
それでは、アメリカはなぜそうしたのでしょうか。
1970年頃のアメリカは財政赤字と貿易赤字に苦しみ、現在の日本のような経済状態でした。自らの産業競争力の低下に対する危機意識は深刻で、この危機を脱するために技術開発の促進による経済の再生を試みます。
当時のアメリカは、労働者の給料が高くなって、もはや安い製品では日本や発展途上国に対抗できなくなっていたので、あらゆる手段で技術開発力を発展させ優れた製品を開発し、その技術を特許法や著作権法などの知的財産権法強化により国内で保護することにしたのです。
と同時に、知的財産権法を世界各国に制定させ、輸出したアメリカ製品の模倣を許さないという行動計画を立てました。この当時、中国などには特許法も著作権法もありませんでした。
このような政策の中で、プログラムが著作物とされたのです。
アメリカはコンピュータを発明した国であり、IBMという強力なコンピュータメーカーやマイクロソフトのような優れたソフト企業を擁するプログラム先進国です。
自国の得意とするプログラムをどの法律で保護するのが得策か考えました。特許権に比べると著作権による保護は、権利成立が簡単で、保護期間が長く、特許料のような維持費はいりません。
また、一国で著作権が成立すると、同時にほぼ全世界の国でも保護が認められる利点があります。
このような理由から、その性質が著作物とは相容れないとの諸外国の反対を押し切って、プログラムを著作権法で保護し、同じように著作権で保護しない外国のプログラムは、アメリカでは保護しないと宣言しました。
このため日本は、1985年に著作権法を改正して、プログラムを著作物であるとしたのです。そして、諸外国もこれに続きました。
・・・というわけで、もともとはアメリカの国際競争力強化の施策から始まったのですね。
こうした著作権をはじめ、さまざまな権利について先進国では定着しましたが、中国ではまだまだです。最近も商標登録で、勝手に日本の地名やブランド名を自らの商標として出願する「悪意の商標出願」が問題になっています。
こうした固有の名称まで商標登録してしまうのは、我々の頭では思いもつかないことです。世界の経済大国として、早くそれなりの振る舞いを身に付けて欲しいものです。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2014.12.6記)