さて、「今日は何の日?」シリーズ第133回をお送りします。
今から2年前の2012年12月16日に、第46回衆議院議員総選挙の投開票が行われ、自由民主党が294議席を獲得し、3年3ヶ月振りの政権復帰を決めました。
そして、敗れた民主党の野田佳彦内閣総理大臣は、敗北の責任を取り内閣総理大臣と民主党代表の辞意を表明したのです。
2年前の衆議院解散までの動き
一昨日の2014年12月14日に投開票された第47回衆議院議員総選挙は、与党の圧勝で幕を閉じました。
今回と同じく、師走の選挙となった2年前の選挙経緯をおさらいしておきましょう。
2012年の第180回国会において、内閣総理大臣・野田佳彦(民主党代表)は、税と社会保障の一体改革を巡る消費税増税法案の採決に際し、近いうちに国民の信を問う、つまり衆議院を解散することを条件に、自民党・公明党の協力を取り付けて、同法案を成立させました。
そして、11月14日になって野田総理は党首討論で「(衆議院議員定数削減法案への賛同の)ご決断をいただくならば、私は今週末の (11月) 16日に解散をしてもいいと思っております」と、翌々日にも解散するつもりがあることを突如として表明しました。
自由民主党総裁・安倍晋三もこれに同調したため、その日の夕方に政府・民主党の首脳が総理大臣官邸で会合を開いて協議した結果、総選挙の日程が12月4日公示、12月16日投開票と決まりました。
こうして「師走選挙」が、1983年(昭和58年)の第37回総選挙以来29年ぶり5回目の実施となったのです。
新党乱立の動き
これより前から、衆議院議員の任期満了が近くなったこともあり、新党を結党する動きが活発になっていました。
政党要件として国会議員5人以上が必要であり、その条件を満たした新党大地・真民主、新党きづな、国民の生活が第一、みどりの風、日本維新の会、減税日本、太陽の党(旧たちあがれ日本)が政党として結党したのです。
選挙結果
選挙の結果、野党第一党の自由民主党は294議席(改選前119議席)を獲得し、単独で絶対安定多数(269議席)を確保する大勝で第一党に返り咲きました。
また、公明党の31議席と合わせて衆議院再可決が可能となる3分の2を超える325議席を獲得し、政権を奪還したのです。
一方、与党民主党は改選前の230議席からほぼ4分の1、前回衆院選の308議席からは5分の1以下に留まる57議席しか獲得できず、藤村修内閣官房長官をはじめ樽床伸二総務大臣、城島正光財務大臣、田中真紀子文部科学大臣ら現職閣僚8人(国民新党からの閣僚も含む)が落選するなど、歴史的かつ壊滅的な大敗を喫してしまいました。
現職の内閣官房長官が落選した選挙は過去に例がなく、現職閣僚の落選人数についても最多という記録を作ってしまいます。
選挙での動向が注目されていたいわゆる第三極では、日本維新の会が54議席(改選前11議席)、みんなの党が18議席(改選前8議席)と大幅に躍進する一方、民主党離党者が多数参加した日本未来の党は9議席(改選前61議席)と惨敗、民主党と共倒れに終わってしまいました。
また、これら第三極に埋没する形で国民新党、新党大地、日本共産党、社会民主党なども議席を減らしました。
この結果、12月26日の第182回国会において第2次安倍内閣(自公連立政権)が発足し、2009年9月に発足した民主党を中心とする政権は僅か1期・3年3カ月(1,198日)で幕を閉じたのです。
まとめ
第2次安倍内閣が誕生した経緯を振り返ってみました。
2009年の民意は、自公連立政権に「NO」を突き付け政権交代を実現させました。そして、2012年には、3年3ヶ月の間に民主党政権が失政を重ねた結果、民意に愛想を尽かされ自滅したといっていい壊滅的な敗北を喫します。
そして、今回2014年の総選挙で、民主党は再建途上で再びダメを押されるような結果になりました。党代表の小選挙区敗北、比例復活ならずということが象徴しているように見えます。
再び、安倍・自公連立政権は絶対安定多数の3分の2超もの議席を確保しました。安倍長期政権が見えてきたと言えます。
閣僚が全員再任されて、安倍内閣が再度スタートするようですが、これは当然のことだと思います。国政に遅滞は許されません。
安倍総理は、1954年9月21日生まれの60歳。年代が近いので、以前から応援していたのですが、今後、政権の舵取りは益々難しくなると思います。
健康にだけは留意して、より良い日本を目指して頑張って欲しいと思います。勿論、政策面で全てに賛成できるわけではありませんが、誠実な政治家として使命を全うして欲しいと思っています。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2014.12.16記)