Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

” 天覧試合の日 ” に思うこと → 永遠のヒーロー長嶋さんの笑顔をいつまでも見ていたい…

0

0

0

0

0

アイキャッチ画像

さて、今日はあの記念すべき「天覧試合の日」です。

「天覧試合の日」の由来

今から56年前の1959年 (昭和34年) 6月25日に、昭和天皇皇后両陛下が、初めてプロ野球の試合を球場でご覧になりました。

昭和天皇皇后陛下

試合は、巨人対阪神戦 (後楽園球場) でした。4対4の同点で迎えた9回裏に、あの伝説のシーンが繰り広げられます。

巨人の長嶋茂雄選手が、阪神の村山実投手から劇的なサヨナラホームランを打ったのです。初の天覧試合は、巨人軍の勝利で幕を閉じました。

昭和天皇皇后両陛下があと10分ちょっとで退出される、という実に際どいタイミングでした。

こうして、長嶋選手はチャンスに強いとの定評を得て、長く記憶に留められる選手になったのでした。

「天覧試合の日」に思うこと

僕が生まれたのは1956年 (昭和31年) です。当時、長嶋選手は立教大学の選手として、六大学野球のスターでした。

そして、僕が2歳になった1958年 (昭和33年) に、栄光の巨人軍に入団し、その翌年の天覧試合でサヨナラホームランをかっ飛ばしたのです。

巨人・大鵬・玉子焼きが、子どもの大好きなものの代表でした。その時代に育った僕は、もちろん大の巨人ファンであり、更に熱狂的な長嶋ファンとして育ちます。

そして、巨人の10連覇が消えた1974年 (昭和49年) 10月12日に、長嶋選手が引退を表明します。

その翌々日の引退セレモニーでは、「我が巨人軍は永久に不滅です!」という名言を残しました。

引退セレモニー

今でも、時々テレビのそのシーンが映ることがありますが、反射的に毎回涙がこぼれます。まるで、パブロフの犬状態ですね…(^^;

そんな長嶋選手が付けていた栄光の背番号「3」は、読売ジャイアンツの永久欠番となりました。

当時2歳だった僕が、天覧試合の記憶があるわけではないですが、サヨナラホームランのシーンはたくさんテレビで見ました。

そんな熱狂的な長嶋ファンだった僕が衝撃のニュースを目にしたのは、忘れもしない僕が48歳の誕生日を迎えた2004年 (平成6年) 3月4日その日でした。

長嶋さんが脳梗塞で倒れ、入院されたというニュースが飛び込んできたのです。

偉大で永遠のヒーローである長嶋さんがそんなことになるとは…と、頭が真っ白になり言葉を失いました。

なんとか一命はとりとめたものの、右半身に麻痺が残り、言語能力にも影響が出ました。

自分に何かできることはないか、と考え、それまでやめることのできなかった煙草を一切断つことにして、長嶋さんの回復を一心に祈りました。

お陰で禁断症状に苦しめられることもなく、煙草はピタッとやめることができ、今に至るまで禁煙は続いています。それどころか、他人の吸う煙草の煙が大嫌いになりました…(^^;

その後の長嶋さんは、積極的にリハビリに取り組み、その様子を公開するなど、同じ病気に苦しむ人たちの力にもなっていることはご存知の通りです。

2013年には、愛弟子の松井秀喜氏と共に国民栄誉賞を受賞したことは記憶に新しいですね。

長嶋氏・松井氏

・・・ということで、今年の2月20日に79歳となられた長嶋さん、これ以上の回復は難しいかもしれませんが、いつまでもあの笑顔を見せて欲しいと切に願った「天覧試合の日」なのでした。

・・・・・・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。長嶋さんのことになると、ついつい長くなってしまいます…(^^;
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2015.6.25記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

コメント

人生のセカンドステージを、ポジティブ&アクティブに過ごすことを目指して、アラカン(アカウンド還暦)世代の筆者が思いを綴るブログ。
Consulting Office SMART代表/富田邦明が人となりをお伝えするために運営しています。

詳しいプロフィールはこちら