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石破茂地方創生担当大臣は、「日本列島改造論」の田中角栄の最後の教え子!

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さて、地方創生に関するリーダーである石破大臣は、あの田中角栄の最後の教え子とされています。

そこで、石破氏に大きな影響を与えたであろう田中角栄の「日本列島改造論」について、ここで振り返って見てみたいと思います。

石破氏の政界入りは、田中角栄の薦めだった

石破氏は、慶應大学を卒業した後、1979年 (昭和54年) に三井銀行 (現三井住友銀行) に入行しました。

石破大臣の父親は、建設官僚を経て鳥取県知事になりましたが、1981年 (昭和56年) に亡くなります。

その父親と友人だった田中角栄から「おまえが (おやじの後に) 出ろ」と薦められて、政界入りを志すことになります。

そして、1986年 (昭和61年) の衆議院議員総選挙に出馬し、28歳で当選した石破氏は、当時全国最年少の国会議員となりました。

こうして、石破氏は田中角栄の薫陶を受けることになったのです。

田中角栄の「日本列島改造論」

1972年 (昭和47年) 8月に出版された「日本列島改造論」は、翌月の田中角栄の総理総裁就任に伴い、88万部の売り上げを記録するベストセラーとなりました。

「日本列島改造論」表紙

もともとは、その4年前に田中角栄が、自民党の都市政策調査会長としてまとめた「都市政策大綱」を土台に作成されたものでした。

その内容は、高度成長期に発生した都市部の人口過密・公害・物価上昇や農村の過疎化といった問題を解消するために、工業地帯の再配置や交通・情報通信網の整備をテコに、人やモノの流れを大都市から地方に逆流させ「地方分散」を推進するというものです。

田中角栄は、首相に就任するとすぐ首相の私的諮問機関として「日本列島改造問題調査委員会」を発足させ、具体的な計画の実現に乗り出します。

この計画に触発されて、開発をあてこんだ土建業者や不動産業者などが土地投機に走り全国的に地価が高騰、それに対する批判や公害の拡大などを懸念する声も大きくなりました。

しかし、その後の急激なインフレの進行に加えて、1973年 (昭和48年) 10月に起きた第1次オイルショックにとどめを刺され、計画自体は失速してしまいます。

石破氏が影響を受けたものは?

田中角栄が「日本列島改造論」をぶち上げた当時と、現在とでは日本が置かれた状況はかなり異なっています。

特に、先日発表された2015年国勢調査の人口速報に示された通り、今や人口の減少期に入ったことが明確になりました。

地方での公共投資や工場建設といった手段は、現在では実現困難でしょう。

東京一極集中の是正に加えて、地方の人口減少を食い止めるという喫緊の課題に取り組むのが「地方創生」の務めです。

これまでの政府の主な地方活性化政策として、田中角栄の「日本列島改造論」、大平正芳の「田園都市構想」、そして竹下登の「ふるさと創生」がありました。

しかし、現在の安倍内閣が進める「地方創生」では、この政策が失敗すると「国がなくなる」という強烈な危機感がベースにあるという点で、これまでとは異なります。

田中角栄の最後の教え子と言われ、その薫陶を受けた石破茂地方創生担当大臣が、どのようにそのDNAを発揮していくのか、今後息の長い取り組みになりますが、大いにその実力を発揮してもらいたいと思っています。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
 
 
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(2016.3.15記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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