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さて、これまでさまざまな角度から「地方創生」に関して調べてきました。気付けば、このブログのカテゴリで「地方創生」に関する記事が100を超えていました。
そして、さまざまな気付きや疑問を感じてきたのですが、今回「東洋経済ONLINE」のこちらの記事を読んで共感した部分があるので、今日はそのことを書いてみます。
「地方創生」は都会からの視線ではうまくいかない
東洋経済の記事の冒頭に、以下の記述があります。
「地方創生」という言葉に違和感を持っているのも事実です。単なるはやり言葉のように、安易に使われすぎてはいないか……。そしてその裏側には「都会の側から見た地方」という一方的な視線、紋切り型のイメージがないだろうか……。そんな疑問が浮かんでしまうのです。
そして、記事では徳島県を例にあげています。
ITサテライトオフィスの誘致が成功した「神山モデル」。葉っぱを扱うビジネスが映画化された「株式会社いろどり」の上勝町。そのほかにも県外からの移住者対策や、テレワークセンターの誘致、消費者庁の移転など、徳島県は地方創生に絡む話題が絶えない地域です。
徳島県のこうした取り組みは、地元の人が考え知恵を絞り、作り上げてきたものです。
その他の地方では、都会から地域再生コーディネーターのような再生請負人がやってきて取り組む例がよくありますが、そのような『首都圏→地方』の形だけでは、どうしても押し付けのプランになりがちです。
また、徳島県で成功したからといって、それをそっくりその他の地方に持っていっても成功するとは限りません。受け入れる側の覚悟がなかったり、受け入れ態勢がないエリアでは、「成功モデル」の横展開は困難です。
地域ごとに「最適解」は異なる
何人移住した、何人参加した、何個売れた、いくら儲けた、などとは別の、各地域のモノサシで地方創生の成果を計ることが必要なのではないでしょうか。
何をもって地方創生とするかは本来、地域の人が自分たちで判断することなのでしょう。そこに暮らす人々が地域の魅力に気づき、生きる意味を再定義できることを「成功」とするなら、観光客や移住者を増やすことなどは、絶対的指標ではないのかもしれません。
しかし、国の地方創生交付金などの制度では、申請時に重要業績評価指標 (KPI) を定量化して設定しなければなりません。そうするとどうしても人数や売上個数や金額に目が行ってしまいます。
定性面での評価をどうするか、ということでしょうか。
最後に
「地方創生」という言葉、いまや新聞やテレビで目にしない日はありません。行政面でも、「地方創生」と冠すれば予算が獲得できる、といった風潮すら感じます。
しかし、これは一過性のものに終わらせてはいけないテーマです。日本の将来がかかっている一大事業です。
以前、石破茂地方創生担当大臣は、佐賀市で行われた佐賀県知事・県内首長と地方創生に関する意見交換会に出席し、地方創生が失敗する要因について、次の3点を挙げていました。(こちらの記事参照)
「やりっぱなしの行政、頼りっぱなしの民間、無関心の市民」
最初の「やりっぱなしの行政」は、これまでの行政は予算をつけ、箱物などの商業施設を作って終わり。残ったのは膨大な維持管理費の支払いだけ、といった効果検証の伴わない施策を指しているものと思われます。
2番目の「頼りっぱなしの民間」は、地方創生への取り組みは国や地方自治体が行うもの、という姿勢で終始していることでしょう。
3番目の「無関心の市民」は、過疎化や限界集落化は止めることのできない傾向で、何をやっても無駄、と諦めきっていることでしょうか。
地方創生について、成功事例の横展開は困難で、「こうすればどこでもうまくいく」という、決まったやり方がないということは、裏を返せば、地域活性化の答えは、その地域にしか眠っていないということです。
国や周囲の地域の動きばかり見ているのではなく、「自分たちの地域は自分たちでやる」という主体性こそが、パワーを生み出します。
その主体性を持った人材を輩出すべく、その地域の「産官学金労言」の連携を深め、知恵を絞って地方創生に向けてパワーを発揮して欲しいと思う次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2016.6.23記)